皆さんこんにちは。

本日は、「寛容と不寛容の間にあるもの」というテーマで書き留めたいと思います。

 

帚木蓬生さんの『ネガティブ・ケイパビリティ 答えのない事態に耐える力』を読みました。ネガティブ・ケイパビリティとは、「容易に答えの出ない事態に耐えうる能力」のことです。

 

同書の中に、「世の中には、そう簡単に解決できない問題が満ち満ちています。人が生きていく上では、解決できる問題よりも解決できない問題のほうが、何倍も多いのです。」というくだりがあります。

社会・経済の中で大きな問題が生じて生きていく上での不満や不安が高まったり、また将来を考えるとマインド的に暗くなったりするような状況においては、私たちは、明るい未来を明確に描き示してくれるようなリーダーを求めがちになります。

現状を保守しなから小手先でわずかな課題解決をするリーダーよりは、未来に期待できるようなカリスマリーダーの方が、気持ちの上でも高揚感を感じますよね。

 

ただ、カリスマリーダーの歯切れのよい言葉の裏には、現状とあるべき姿との間で、しっかりと思い巡らすべき精神的な労苦を本当に経ているのか、私たちも吟味しなければなりません。

エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』にも同様な警鐘が書かれています。すなわち、「カリスマリーダーを求める社会こそ問題なのではないのか」と。

 

 

現代の教育も、基本的にはポジティブ・ケイパビリティを伸長する教育が行われています。換言すれば、短期的な改題解決能力が重要視されていて、長期的に物事に取り組んで答えを模索するような姿勢は歓迎されていないのです。でもそもそも学びとは、選択肢のある中から正しい答えを早く選ぶ能力を伸ばすことではなく、学べば学ぶほどその道がどこまでも続いているのだから、答えのない問題を探し続ける挑戦こそが教育の真髄なのではないかと、帚木さんは述べておられます。

 

物事を単純化し、自らの安心のために白黒をつけて他者を裁くような不寛容な姿勢は、自己コントロールの上では良質な武器かもしれません。でも社会の中では、摩擦や混乱をもたらす原因ともなりうることは、過去の戦争の歴史も証明するところです。

心地よい不寛容なマインドに陥る前に、たとえ苦しくても答えのない課題に対して、もう一度思い巡らす精神的な努力を行う胆力を持ち合わせたいものです。

 

同書における帚木さんの言葉を以下に引用いたします。

 

寛容は大きな力を持ちません。しかし寛容がないところでは、必ずや物事を極端に走らせてしまいます。この寛容を支えているのが、実はネガティブ・ケイパビリティなのです。

どうにも解決出来ない問題を、宙ぶらりんのまま、何とか耐え続けていく力が、寛容の火を絶やさずに守っているのです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

2024.1.13 #322

 

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