皆さんこんにちは。

本日は、『何もしない方が得な日本』という書籍を読んで考えたことを書き留めたいと思います。

 

太田肇さん著の標題の書籍を読みました。

日本は、山岸俊男先生の言われる「安心社会」、すなわち「長期的関係」を前提に、「内部は極めてハイコンテクストで均質化された社会」であり、仲間が道理に外れたことをした場合には、自動的にその組織の「針千本マシン」が機能するような、そんな社会であるとされてきました。お上という直接つながっていない権威をテコに、組織自体に自然な統制が働いていたといってもいいでしょう。 ですので、多少相手の素性に分からないことがあっても、相手を疑うことがそんなに必要が無い安心社会であったわけです。

 

その点では、国土が地続きで移民が常に存在していたような国の人間が、他者が本当に信頼に足るか否かを自らの経験や眼力で見極めて取引しなければならない環境と比べ、日本は閉鎖された島国でしたから、国境も高く、そして自国の国力や内部市場の成長が順調な時代には、この「安心社会」は非常に効率が良かった文化的仕組みであったと考えられます。

 

 

でも、この安心社会はすでに形骸化してきているのも事実です。

標題の著者の太田さんは、日本社会は「全体主義のパラドックス」に侵されている、と言っています。全体主義とは、「個人」よりも「全体」を、「私」よりも「公」を優先するような体制のことを言いますが、こういう一種の滅私的な文化が日本の美徳であり、それが日本の競争力の源泉である時代はすでに終焉を迎えていると言われています。

 

組織の統制者側に立つ人間は、多様化、グローバル化などにより上記のようなパラダイムシフトが起きていることを知りつつ、でも全体主義的な(軍隊的な)統制が自分の利になることを手放そうとせず、逆に使われる側は、表面的には滅私的な態度をとりつつ、自分に損が及ばなければあえて自分のエネルギーを使うようなことを組織や他者のためにはしない、という残念な状態になっているのが日本の「失われた30年」の現実であると、太田さんは言っておられます。

日本人のワークエンゲージメントが他国と比べて極めて低い理由も、このような全体主義のパラドックスの影響なのだろうと思います。

 

企業組織での活動また地元での活動であっても、将来の組織のために個人が起こしたアクションに対して、責任だけが問われるようなバランスの悪い環境では、誰もアクションを起こさなくなってしまいます。(内部通報制度なども、本気で通報者を守れなければ同様なことになると思います)

 

このような呪縛を解き放つため、組織管理者は次のようなことを考えていかなければならないと、太田さんは提案してくれています。

 

アクションを起こした個人の労が最低限認められること、そしてその余波により周囲へのマイナス影響を最小限抑制するような仕組みを作ること、個人の責任と権限をさらに明確にすること、インセンティブと成功報酬を大きくすること、外の世界を見せて自分自身や自分の立ち位置を認識させること、これによる個人の開眼に負けない魅力的な組織を作ること、そしてこのようなフェアな契約に反する行動をとる人間は合理的に排除すること・・・。

 

「忖度王国」日本に投げつけられた大切な視点だと思いました。

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

2023.8.11 #301

 

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