皆さんこんにちは。
本日は、「人は自分とは違う」というテーマで書き留めたいと思います。
ある産業医の講話の中で、「なぜ人間は傷つくのか」という問いがありました。その答えは、「期待値とのズレがあるから」とのことでした。
組織の中で年配社員が若手社員に向かい、「俺の若い頃は・・・」と昭和時代の仕事のやり方を熱弁したとしても、若手社員はそれをポジティブに受け取らないばかりか、聞けば聞くほど心に痛みを覚えてしまう場合もあるようです。それは、この若手社員にとっては、昭和時代の仕事のやり方を期待しているわけではなく、現在の仕事をいかにこなしていくか、その解答が欲しいから教えを乞うているのであって、世代の違う人間の過去の栄光話を求めているわけではないからです。すなわち、期待値とのズレがここには存在しているのです。
土居健郎さんは『甘えの構造』の中で、他人が自分に好意があることを前提に振る舞うのが日本人の特徴であることを示唆されていますが、「多くを言わなくても自分の思いを忖度してくれるだろう」という昔流の思考はもはや通じなくなってきています。それだけ考え方や生き方も多様になってきていますから、相手に対して自分の思いを伝えるためには、しっかりと「言語化」しなければならないでしょう。
さらに言えば、相手と言葉のキャッチボールをしているときに、これはビンボールに近い球だ、と思うようなボールが投げかけられたとしても、過度に気にする必要も無いのだろうと思います。必要以上に忖度をすることは、即ち認知の歪みにも繋がってしまい自分を苦しめることにもなるので、そういう時にはある種の鈍感力で受け流ことも大切でしょう。
そして本当に荒れ球しか投げられない相手とは、きっちりと人間関係の一線を画すことで対応するしかないのだろうと思います。
組織によっては、人間関係が円滑にいかないことが、当人の欠陥のように評される文化もあるかもしれません。しかしながら、ビンボールを投げる相手に無抵抗であれば、いずれは逃げきれずに痛い思いをするのは自分自身ですから、「嫌だ」ということを言語化して伝えることも、自分らしく生きる上では必要なことだと思っています。それで組織側がマイナス評価するのであれば、それはそれでやむを得ないことではないでしょうか。
人は自分とは違います。
他者に対しリスペクトを持って協働するスタンスが必要なのは言うまでもないことですが、自分にとって譲れないレッドラインを譲歩することは最終的には自分自身を苦しめてしまうし、そのレッドライン上で悩むことも大きな精神的消耗に繋がります。
健全な自己観を持って歩みたいと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
2022.12.24 #269
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