皆さんこんにちは。

本日は、「良い羊飼いになりえるか」というテーマで書き留めたいと思います。

 

聖書のたとえ話に、「良い羊飼い」という話があります。

ある羊飼いが100匹の羊を飼っているのですが、そのうちの1匹が迷子になってしまいます。その羊飼いは、99匹の羊を置きざりにして迷子になった1匹の羊を必死に探し、見つけて大喜びする、というストーリーです。

 

この話は、経済合理性でいえばナンセンスです。なぜなら、99匹は置き去りにされたので、羊飼いのいない間に凶暴な獣が現れて、多くの羊は餌食にされてしまうかもしれないからです。それを考えれば、迷子になった羊のことは、やむを得なかったと放念することの方が理にかなっています。

 

私たちの組織活動でも同様なことがあると思います。

特に企業活動をしていれば経済合理性を追求することが大切です。身体的、能力的、精神的に状況が整っている社員でなければ、雇用することは難しいという結論になるのも致し方のないことです。

すなわち、会社の社員を羊に例えれば、社命に従い与えられた任務をこなす99人の社員のために、それが出来ない1人の社員を特別視出来ない、ということになります。

 

でも、上記の羊飼いは、なぜ不合理な判断をしたのでしょうか。

聖書の教えでは、たとえ不出来な1匹の羊であろうとも神様はちゃんと見ていてくださる、ということなのですが、ここでは聖書の教えではなく、実際の私たちの生きている現場で考えてみたいと思います。

 

 

1匹の羊は、なぜ迷子になってしまったのでしょうか。羊飼いの言うことを聞かなかったからかもしれないし、ふざけて遊んでいて迷子になってしまったかもしれません。でも、体調が悪く群れに付いていけなかったからかもしれないし、仲間の羊から不条理な扱いを受けて傷ついていたからかもしれない。それでも何とか群れに戻ろうと必死に探しているかもしれないのです。

 

迷子になってしまった、すなわち通常に働くことが難しくなった原因や経緯、そして現在置かれている環境をどれだけ考えることができるのか、そのことをこのたとえ話は我々にも問うているのだと私は思います。

 

企業は営利目的で存在し、利益を生み出せる機会を作ること、そしてその目的を達成できる社員で構成されることが常道です。ですからその目的実現のために将来の計画を作り、夢を語り、社員を鼓舞する経営のスタンスも大切だと思います。

 

ただ一方企業は、社員集団をどういう群れにしたいのか、どう群れを率いていくべきなのか・・・それは会社の品格にもつながる大切なことだと思っています。

私自身現職を通じて、羊飼い的な歩みをどこまで出来るのか、その限界に悩むことも多く感じていますが、羊飼いが羊に思いを馳せることを諦めてしまったら迷子になった羊は群れに戻ることは難しいです。

常に可能性を信じ、できる限りの努力を続けたいと思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2022.12.10 #267 

 

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