皆さんこんにちは。

本日は「働き方を考える」をテーマに書き留めたいと思います。

 

昭和世代のサラリーマン的な基準は、こんな感じではなかったでしょうか。

 

「仕事は24時間体制が原則。同期入社の中でなるべく早く出世し、まずは課長、次に部長、できれば役員と出世して退職金で家のローンを完済し、定年後もいくらかの臨時収入を得ながら悠々自適な生活を送る。そのための社内競争、すなわちMSGK(麻雀、酒、ゴルフ、カラオケの付き合い)は欠かさず参加して上司に気にいられる。休みであろうとなかろうと、上司に声かけられれば、MSGKのみならず引越しの手伝いも喜んでする。これこそが勝ち組の方程式である。」

 

私も昭和の世代に会社員をスタートしていましたので、上記のような生活を普通にやっていましたし、それを疑うこともしませんでした。

 

でも最近よく耳にする話ですが、若い世代の社員が、「管理職にはなりたくない」という思いを持っている人間が多いとのこと。

それは、こんな思いからなのだろうと思います。

 

「管理職になればそれなりの報酬はあるかもしれないけれども、仕事の責任が重たくなると同時に成果を上げるためには長時間労働もしなければいけない。残業代も付かないし、結局は単位時間当たりの賃金は部下よりも低くなる。また色々なタイプの部下を理解して仕事をさせなければならないが、中には自分勝手で責任は負わず自己主張ばかりする部下もいて、けれどもそういう部下が成長しなければ自分のマネジメント力も問われる。転勤命令が出れば、役職を持っている手前、拒否も難しい。相方も働いているので家族で移動することも出来ないから単身赴任となるが、その赴任はいつまで続くかわからない。そんなのが管理職の実態ならなりたくない。

 

要するに、若い世代から見ると、管理職の働き方に魅力を感じていないわけです。

それよりは、相方も働いているから転勤がなく、自分就業時間もある程度限定されていて平日でも家の用事を共有することができ、他に家族の行事があれば有休申請もそれなりに申請できて休暇をもらえるような働き方の方が、多少実入りは少なくても、いまの若い世代の実情に合っているのでしょう。

 

 

先日ある講演で、労働生産性の話が出ました。

労働生産性は、単位時間当たりのアウトプットの量を増やすことで上昇する、すなわち、以下の公式で表されます。

 

労働生産性 = 労働の成果 ÷ 労働時間

 

ですから、労働時間を短くしよう、会社を挙げて一定時刻になったら強制的に事務所の電気を消したりパソコンを使えなくしたりするわけですが、この公式の左右に労働時間を乗じてみると、以下のようになります。

 

労働の成果 = 労働生産性 × 労働時間

 

労働生産性の論議をする時に労働時間を短くすることばかりに目がいきがちですが、働く目的は生産性を挙げることではなく、成果をあげることですから、成果を上げるためには、「労働時間が短いことが美徳ではなく、労働時間を短くするなら、それだけ生産性を高めなければ成果に繋がらない」という思考に変わらなければなりません。

 

若手から見て管理職の働き方が魅力に感じられないのは、「労働の成果」というものに対して、定義・基準が曖昧なのか、あるいは実現不可能な押し付けがあるのか、成果が見えにくいために働く当事者に無力感のようなものを感じさせているからではないでしょうか。

 

仕事自体に魅力を感じ、成長予感を持ち、自分が参与することで組織貢献に繋がる実感を持てる仕事であれば、労働時間に制限がある社員の場合には、決められた時間の中でどうしたら求められる成果を出せるのか、ということを自分事として前向きに考えますね。

こういう意識で働きたいと思いました。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2022.8.6 #249

 

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