皆さんこんにちは。

本日は、「「力の論理」の盲点」というテーマで書き留めたいと思います。

 

現在の世界情勢は、ウクライナ問題に最大の焦点が当てられています。ウクライナ東部が旧ロシアの聖地の一つであったとの論理から、そこに留まる同胞を救うという大義名分のもと、ロシア軍がウクライナに攻め込んで1か月になろうとしています。

でもこの大義はあくまでロシア単独の視点であり、国際法上は明らかな違反としかいえない暴挙であるのは自明です。

でも、安保理の常任理事国であり、見方は様々でも第二次大戦の戦勝国であり、また核や種々のエネルギー保有国であるロシアは、力の論理では世界経済を左右させるほどの影響力を持っているのも事実で、世界各国の真の連帯無くしてはその暴挙を止めることは難しいことも段々とわかってきました。現実的に、国連決議や経済制裁では抑止力にはなっていないのです。

 

この事実だけ見れば、国力や自国軍事力を持つことが、影響力の源泉であるような錯覚を起こしかねません。すでに、原料値上げなどの影響で、西側諸国の国民一人ひとりの生活は徐々に苦しさを増してきていて、何のための戦争か、という論議も起きてきかねません。

 

 

これと同じようなことが、もしかしたら一つの企業・組織内でも起きているとしたら、私たちはどのように対応したらよいのでしょうか。

「力の論理」に倣い、その時々の権力派閥に風見鶏のようになびいていくことが大切だ、という考えもあるかと思います。日本の有名な政治家でも顕著な風見鶏もいますからね。それを見るとゲンナリしますが、でもそれが生きていくための世の中の渡り方の一つなのかもしれません。

 

「力の論理」を行う人間に共通しているのは、自分を強く大きく見せるため、過大な言動で基準を自分に都合よく変えて、自分より弱い他者を攻撃し、物理的というより精神的な平穏を乱すことでマウントを取りにいきます。それも、「部下のため、会社のため」といった大義を必ず伴うのです。

そういうスタンスは、常に闘いのモードでいてパワーがある分、カッコよくも見えるし、その構成員でいると短期的には麻薬のような心地よさに浸ることもあるのかもしれません。

 

けれども、そういう世界は虚構なのです。

長期で見れば、ビッグマウスで語られたものが砂上の楼閣であることが分かってしまいます。人間は、一時の権威などではなく、優しさや信頼できるかどうか、正しい行いをする人かどうかを重視するもので、これは研究によって明らかになっています。これは進化論的な観点から見て、自分が生き残ることにとっては、相手の権威やずるがしこい能力より、その意図の方が大きな意味を持っていることを自然と理解しているからです。薄っぺらい虚勢は、ある程度の時間共存すれば、普通は見抜かれてしまうものなのです。

 

相手の心を壊してしまうようなパワハラなど、許してはいけません。またそれを指導者は、見抜いて指導しなけなければなりません。

出身地域の気質だからとか言ってパワハラを行っている人間を庇ったりするのは、愚かなことであると思います。

 

自利にまみれた「力の論理」では、最終的には幸せには至れないことを私たちは学ぶべきだと思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2022.4.15 #233

 

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