皆さんこんにちは。

本日は、「勉強に年齢は全く関係ない」というテーマで書き留めたいと思います。

 

現在、大学院入学を目指しある予備校の授業を受けているのですが、その予備校の先生が書かれた書籍の中に、本日の標題のことが書かれていました。『大人になってからの勉強法』という本です。

 

同書によれば、人間は進化の過程で、不必要なものは退化させ、必要な機能を整えてきています。人間に羽やしっぽがないのも退化の例ですし、また物を器用に運んだり重たい脳を支えたりするために二足歩行に変わってきたのもその現象の一つでしょう。

ただ脳細胞については、このような身体系の進化・退化とは異なり、実際に使用する脳細胞が10%程度であるにもかかわらず、使わないでいる残りの脳は退化せず保持されているそうです。

 

つまりは、「加齢で記憶が衰えて、勉強しても身につかない」というのは誤りで、大人になっても学びを継続すれば知識になり、その知識を活用して知恵のある行動に繋げることができるということです。

 

東京大学の脳科学者の池谷先生も、記憶に関しては同様のことを言われていて、年齢が高くなることと記憶力が低下することは全く相関が無いそうです。なぜ学生時代と社会人になってから記憶に差があるように感じるか・・・それは、学生時代と比べて社会人はそれだけ背負うものが大きくなり、知識を吸収するという命題に100%傾注することが難しくなるのも一因であると先生は述べておられます。

 

私の拙い経験でも、同じように感じます。精神的な心配事、またイライラするような出来事で心が占拠されているときは、学習効率は非常に悪くなります。神経細胞ネットワークが、自分にとって不快なものが常に優位となってしまっているため、勉強し他の細胞を活かそうと脳が指令しても、隅へ追いやられてしまい、長期記憶や過去の記憶との建設的な結合に至らないのだろうと思います。

 

 

「良い習慣は才能を超える」ので、勉強を行う良い環境、すなわちツールや人脈の選択はもちろんですが、自分自身の心の環境をそれなりに保つ自己制御を行えることが、いろいろな障壁を超えて学びの効果を享受できる要因なのではないでしょうか。

 

最近まで私は、仕事にも学びにも貪欲に両立できるように頑張ってきましたが、ここ1年ほどの中で仕事環境の上で大きな変化があり、精神的にもバランスを崩してしまいました。環境変化には対応する必要がありますので、何とか修正を図ってきていますが、自分の思考のネットワーク上では、しわくちゃになってしまった紙をいくらひらいて伸ばしても元通りのきれいな紙に戻らないように、固まった損傷は完全寛解に至らないことも、最近受け止めなければならないと感じるようになりました。

 

それでも新たな学びを継続し、自分が見えていない世界を吸収し、それをつなぎ合わせて新しい価値を作り、人生の後輩たちに少しでも大切なものを伝えていけるよう、努力したいと思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2021.5.22 #175