皆さんこんにちは。本日は、「ユニークなキャリアとは」というテーマで書き留めたいと思います。前々回にスタートした「キャリア開発」について、少しずつ思いを書かせていただく2回目になります。

 

私はいままでの学びの中で、キャリアは「アップ・ダウン」するのではなく、「ストレッチするもの」ということを教わりました。アップとかダウンというと、アップが良くて、ダウンが悪いもの、という数量的な視点でどうしても見てしまいますが、そもそもそういう量的なもので測れるものなのでしょうか。

 

例えば、介護で親や子供の面倒を見なければならず、ひと時の間、職場を離れなければならない、というようなケースがあったとします。当然第一線の仕事から離れるわけですから、その間に経験するはずであった業務から学べるものは放棄しなければなりませんが、この介護という役割は、ある意味で人間の生きること・死ぬことを考えさせられる経験であり、その人間の幅を広げてくれるものであると思います。職場復帰後にも同じ痛みや荷物を背負う同僚の気持ちを理解することができるようにもなりますね。

 

この経験は、単純にキャリアダウンと定義して良いものでしょうか。むしろ、人間的な厚みの点では成長しているのではないでしょうか。広い意味でのキャリア(=自分の与えられた才能を発見・活用し、自分と周囲の人との成長や幸せを考えていく歩み)は、ストレッチしているのではと思います。

 

現在の働く環境では、一定期間職場を離れることは、ある意味では怖いことかもしれません。不在となる場合には、組織としてはやはりその穴を埋めなければなりませんので、働く側からすれば自分のいままでのポストを手放すことにも繋がるかもしれません。職場を離れるというケースは、上記の他、新しい学びのために外部に留学するようなことも同様だったりします。

 

各企業には独自の文化があり、そしてその中で活躍しているハイパフォーマーがいます。その企業文化に慣れて、ハイパフォーマーに学び追従して、社内で通用する勝利の方程式を理解して、その組織の頂点を極めることが、一つのキャリアの成功絵図かもしれません。

でも、その人でなければ発揮できないキャリア(=ユニークなキャリア)は、必ずしも1つの組織の中だけで生まれるものではありません。複数の組織で働き、社内外に信頼できる人的なネットワークを持ち、プライベートでも色々な体験を踏まえ、その個々の事象から学んだことを繫ぎ合わせたとき、その人からしか生まれえないキャリアとなるのだと思います。スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行ったスピーチにもありますが、「自分の軌跡にあるドットを紡ぐ」ことで見えてくる世界だと思います。

また、キャリアは、企業での実働年齢の終焉とともに終了するものではありません。役職定年、または実際の定年でキャリア開発が終了してしまうのであれば、離職してからの人生はどうなってしまうのでしょうか。

その点でも、たとえパワーが最大級でなくても、色々な箇所に色々なポケットがあり、年齢に関係なくそのポケットを楽しく活用できるような、そんなキャリアにしてみたいと思いませんか。

私は、社内の方程式を学ぶより、ポケットをたくさん作れるような環境を、自分自身に整備したいと考えています。

 

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。

2020.5.28 #081