みなさんこんにちは。
本日は、「どんな先輩になりたいか」というテーマで書き留めたいと思います。
最近、東レ研究所におられた佐々木常夫さんの本を読む機会があり、そのことで仲間とともに考えたことがあります。ご存知のとおり、佐々木さんは、ご家族の度重なる大変なご事情を正面から受け止めながら、一方で仕事も大切にして立派なビジネスパーソンの人生を歩まれた方です。
仲間と話している際に、「どのような先輩になりたいか」、という話になりました。「仕事のことも仕事以外のことも、何でも相談されるような先輩になりたい」という意見が出て、私はその時に自問自答していました。
一般論ではありますが、ビジネスパーソンとしては、先輩後輩の関係で、質問を受けた場合には、的確に仕事のことをアドバイスできるような先輩になることは一つの目標となるでしょう。
でもその時、私にはなぜか、そのことが逆に思えてしまいました。
仕事のことで質問されることはあっても、仕事以外の生き方や考え方などのことで相談を受けるようなことが一切なかったとしたら、人間としてどうなんだろうと。
仕事はある面では、ゼロとイチで積み上げれば、答えが出るものなのかもしれません。でも、前回ブログの「ニーチェの言葉」のように、仕事を実際に遂行するのは人間であって機械ではないのです。好きも嫌いもあり、モチベーションがモリモリ湧くときもあれば、落ち込んでいるときもある。家庭環境も大きく影響してきます。
そういう人間臭い部分については、心から信頼できない人間には、相談できないですよね。
仕事の枠やマニュアルを完成させて、モチベーションが関係ない職場づくりをしたい、という人間もいますが、私は全く理解ができません。
人間は、ゼロかイチで積みあがっているものではありません。環境にも影響されながら、また結構非合理的な判断もしながら、そして何度も間違いながら、「理」だけではなく「情」を持って生きていくのが人間なのだと思います。
どのような先輩になりたいか。
仕事のアドバイスは乞われなくても、生きるか死ぬか迷うようなことが起こったときに、「話だけでも聞いてください」と声かけてもらえるような、そんな先輩に私はなりたいと思っています。
いまの組織でそのような役割が不要になったときが、また新たな私のスタートなのかもしれないと感じています。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2020.5.1 #074