皆さんこんにちは。

本日は、「困難な状況からの立ち直り方について」というテーマで書き留めたいと思います。

 

日常生活をしていく中で、楽しいこともあれば辛いこともあります。成功もあれば失敗もありますね。辛いこと、失敗することは誰にでもあることですが、その状況からの立ち直り方には、結構個人差があるように思います。

私自身は、仕事上のミスは意外と割り切れるのですけど、ヒューマンな部分の微妙な失敗については、立ち直りまで結構長引いてしまうこともあります。

 

「学習性無力感」の研究で有名なセリグマン教授によると、困難な状況からの立ち直り方は、その状況をどのように捉えるかの「認知」によって、大きく変わってくるとのことです。

具体的には、ある失敗に対して、①その原因を内的なもの(=自分自身の能力など)か、外的なもの(=運・不運など)と捉えるか、②そのような悪い状況が安定(=ずっと続く)しているか、変動(=一過性のもの)と捉えるか、③そのような傾向は普遍的(=何をやってもうまくゆかない)なのか、特殊事情(=他のことはうまくいく)と捉えるか、これらの3つの認知軸で大きく変わる、というものです。

 

起こってしまった悪い出来事を、自分のせい(内的)と考えると自尊感情が低下し、それがいつまでも続く(安定性)と思い、原因を「いつものことだ」(普遍的)と考えるようなクセがあると、立ち直るまでに相当の時間や労力を要することになると、セリグマン教授は教えてくれています。

反対に、外的(=状況や相手が悪い)、一時的(=すぐに状況は良くなるだろう)、特異的(=今回はたまたま悪かった)と捉えるような人は、落ち込みからのリカバリーが早いようです。

 

本日、自分自身にとって、ある辛い出来事がありました。

認知の仕方を自分自身で振り返ってみると、原因を自分の内的なものとしては捉えていませんが、他者が関わることゆえ、自分か他者に対し何等かの変化を起こしていかなければ、今後も繰り返していく(=安定)ことと思われますので、自分の立ち直りには少し黄信号のようにも感じています。

 

しかしながら、社会生活をする上で、常に100点満点を取り続けなければ人間失格なのか、と自問すれば、「やってもできないこともある」と開き直るのも一つかと、そんな風にも思っています。

できないこと、上手くいかないことに対し自分を甘やかしてはいけませんが、できていることまで含めて、過度に自分の能力や姿勢を否定的に捉えることもないと、セリグマン教授は教えてくれていると思いました。

 

昔学んだ聖書の言葉を思い出しました。

「神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。」

 

国難ともいえる困難な状況が続いています。

今晩は心を休めて、また明日から自分らしく歩んでいきたいと思います。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2020.4.15 #070