皆さんこんにちは。

本日は、「やっても出来ないこともある」をテーマに書き留めたいと思います。

 

コロナウイルス対応で、オリンピックの延期が決定しましたが、日本の様々なスポーツの祭典も中止に追い込まれている現状があります。

その中で、日本バスケ界の最高峰のBリーグも、プレーオフの開催中止を余儀なくされました。選手たちの無念もいかばかりかと思いますが、先日の特集テレビ番組では、プレイヤーの皆さんが、「バスケットボールを愛するプレイヤーやファン、ブースターの皆さま一丸となって、この難局を乗り越えられるように頑張りましょう」と力強いコメントをして下さって、本当にうれしくなりました。私も、バスケットボール家族の一員として、自分自身に負けないように頑張りたいと思っています。

 

その一方で、最近も、またしんどい出来事がありました。

コロナ問題は、見えない敵と戦うが故に、人間の通常の感性をも奪ってしまうこともあるようで、どうしても「自分だけがきつい思いをしている」「自分ばかりがなぜ貧乏くじなのか」という被害妄想が膨れてしまう人間もいます。

チームや家族であっても、そういう不和は付きものですから、やむを得えない人間の性であるといえばそれまでですが、そういう状況における胆力こそが社会生活をする上では大切なんだろうとも思います。

私自身、チームビルディングのために何とか手を打ちたいと思ってアクションを起こすのですが、無力感漂う場面も多く、意気消沈しています。

 

以前にカウンセラーの先生から、「「やってもできないこともある」ことを覚えてください。決してあなたが悪いということではありません。」と教えていただきました。いつも私は100点満点を取ろうとして、目標に一直線に進み、また価値観の異なるタイプの人間とも自分の基準で張り合ってしまうことが、自分の消耗を激しくしているのかとも思い直し、白か黒かではなく、グレーでいられる胆力も持たねばと、改めて感じています。

 

自分軸、自分の戻るべき原点を忘れずに、いまの組織でやれるだけのことをやってみて、それから改めて考えればよいと、今日は出張帰りの疲れた自分を、少し緩めて考えていました。

でも、「やってもできないこともある」という言葉は、単に自分自身の甘えを許すものではなく、本来は自分の限界を知り、自分の為せるミッションを理解し、分相応に「生きる上での役割」を全うする気持ちを持った人間こそが、思い煩わないようにと与えられる応援歌なのではないかとも思います。

 

1試合40分の舞台に立つため、バスケプレイヤーはどれだけの練習を積んでいるのか・・・それを考えたときに、「私自身が自分の勝負の舞台はどこにあるのか」を忘れず、日々過ごしていきたいと思いました。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2020.3.30 #065