皆さんこんにちは。

本日は、「かっこいい姿とは」というテーマで感じたことを書き留めたいと思います。

 

このブログも始めてからちょうど6か月、回数にして60回目となります。

「産業界で働く同志、また将来の日本を背負う若者たちとともに、「キャリア開発」のあり方を考えるようなブログでありたい」と思いつつ、振り返ってみると自分自身の独り言がほとんどで、ブログを書くことで、自分の心の整理をしているような、そんなレベルの出来栄えになっていることを恥ずかしく思っています。

 

ただ、自分自身の普段の経験から、また机上の理論から学んだことを自分なりに解釈し、生きるエネルギーにしていくプロセスとして、このようなブログに書き留め、それを読み返して「正しく歩む」ことを考える習慣化ができたことは、私にとっては大きな財産となってきました。また、将来の夢実現の際にも、大切な財産となると確信しているところです。

 

本日のテーマは、「かっこいい姿とは」です。

これは、「プロポーションの良さ」とか「若さ」とか、そういう話ではありません。スポーツでもビジネスでも、またアカデミーの世界でも、自分の天命と信じた物事に必死で取り組んでいる人の姿はかっこいい、そして美しい、そう私には思えます。

 

野球でもバスケでも、選手をテレビで見るのと実際の球場や体育館で見るのとでは、全く伝わり方が違います。生で見ると、本当にかっこいいのです。その人から湧き出る自信、熱い思い、プライドなどが混ざり合った特有の雰囲気が、独特の語りかけをしてくれているように思います。ですからスポーツ選手は、ファンから見て、「自分もそうありたい」と思わせる夢を売る商売でもあるわけですね。

 

ビジネス界ではどうでしょうか。ビジネス界も基本的に同じでしょう。決められた範囲の日々の仕事をこなしていくことはもちろん大切ですが、夢に向かって自分の労を傾けていく姿は、かっこいいですよね。ただ私利私欲がにじみ出てしまうような仕事の仕方では、いくらビジネス上の成果が表れても、「夢を売る人間」にはなれないでしょう。

 

一方で自分自身のことを振り返ると、反省すること然り。

ただ、自分の天命と信じた物事に正面から取り組んでいるのかどうか・・・その点では、現在の自分の状態は「基礎トレ中」であって、歩んでおかなければならない道程にいる、という気持ちもあったりします。

 

その人の評価は、その人の目の黒いうちには完結しないものかと思います。先日ブログで書きましたグスコーブドリの伝記(宮沢賢治著)もそうで、ブドリの生涯は、特に前半は惨憺たるものでありましたが、後半になって本人の努力が実り、社会貢献をするようになり、最期は自らの命を投げうって冷害に悩む人々を救います。ブドリは、誰でもができないような犠牲を通して、人間としての大切なものを伝えてくれました。

 

「その時」は、能力が認められず、適性が及ばず、不器用にしか生きれなくても、最低限他者を思う優しさを持って、自分自身が大切だと思う生き方ができれば、それもまたその時の人生かと。 いつも日の当たる道程にいられるわけではなく、トンネルの中にいるときもあれば、エンジントラブルのときもあるでしょう。「なんか俺、サンドバッグみたいだね」と感じるときもあるでしょう。でも、少し長い目で自分を見てやることができないと、他者に対してもそのような広い視野で評価をしてあげられないようです。

 

私は、「基礎トレ」を一生懸命することにより、本番で実を結ぶチャンスを呼び込めると信じています。 「努力は不可能を可能にする」 私はこの言葉が好きです。

 

その人の評価は、その人がいなくなったときに、初めて与えられるもの。天命を信じて、苦しい状況でもたゆまず正しくトレーニングを積むこと。改めて自分自身にも、課していきたいと思いました。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2020.3.16 #060