皆さんこんにちは。

本日は、「学びのモデルの変化」というテーマで書き留めたいと思います。

 

私が現在、大学院で勉強している「教育心理学」という講座で学んだのですが、そもそも「学びのゴール」というものが、時代や社会背景によって変化している、ということです。

 

まずは産業革命以前の話。産業の主の担い手は家内制手工業といったイメージなのでしょうが、子供はある程度大きくなったら、親方のところに弟子入りして、仕事も生活も面倒を見てもらい、親方の言うことを聞いて腕にスキルを身につけ、一人前になっていくような「徒弟性時代」が初期段階です。学びのゴールを決めるのは、本人ではなく親方で、ゴールも明確。社会もその前提でゆっくりと流れていきます。

 

でも産業革命が起こると、親や親族がやっていた仕事に子供が就くかは決まっているわけではなく、新しい環境で、読み書きそろばんなどの最低限のスキルがあることを前提として、「いわれたことをいわれた通りに再現できる能力」が求められるようになってきます。同時に社会的なニーズとして、各家庭での教育よりは、時代の権力がまとめて子供の教育の面倒を見たほうが良い、という効率性も求められてきます。学びのゴールは、時の権力者が牽引することになります。このような時代を「公教育制度時代」と呼ぶのだそうです。

 

現代は、公教育制度時代の要素も持ちながら歩んでいるのですが、最近は、学校で身につけた「基礎的な能力」が、一生涯にわたっての普遍的な武器となるかといえば、そうではありませんね。社会に出てからも何度も学びなおさなければ、中々変化の激しい社会の実戦の場では生き残れなくなってきました。

特に、IT技術の進歩が激しく、世界中の情報・商流・金融が国境を超えてつながるようになってくると、アカデミーもビジネスの世界でも、従来成り立っていたものが、瞬時に消えてなくなるようなことも起こってくるし、昨日まで正解であったことが、陳腐化してしまい不正解となってしまうような、そんなことが珍しくなくなってきています。

例えば、フライトチケットを例に挙げれば、以前は旅行代理店に頼んで確保してもらっていましたが、現在では搭乗者自らネットで予約するのが通常ですよね。チケット手配の中間マージンを業としていたような代理店は、IT技術の進展に従い、自然消滅していきました。

 

そのような時代ですので、「基礎的な能力を身につける」より、「基礎的な能力の学び方そのものを身につける」ことの方が重要になってきますし、学びのゴールも誰かが決めるのではなく、自分自身の意思で決めることが大切になってきます。そしてゴールは1つではなく、ゴールに近づいたら、また新しい更に適切と思われるゴールを探していく・・・。

そんな時代を、「生涯学習時代」と呼ぶのだそうです。

 

世界に名を馳せているトヨタ自動車ですが、「従来のヒトやモノを運ぶ」という概念に加え、「つながる」というミッションを実現できるように変えてきています。すなわち、ライバルは同業ではなく、アップルやグーグルだとのこと。デジタル技術の浸透が、天下のトヨタ自動車の行く道すら変えてしまう中、どこまで社会の基軸が変わってしまうのか、分からないことだらけです。

 

そんな中で私たちができることと言えば、過去の成功にこだわらず、「基礎的な能力の学び方そのものを身につける」習慣と姿勢なのだと思います。そして、自分が間違っていたと思えば、勇気を持って自分を変えられる柔軟さをもつこと、また新しいことに対する学びを、好奇心を持って臨めることが大切なのだと思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2020.3.14 #059