皆さんこんにちは。

本日は、「自分がキャリアの主人公」というテーマで書き留めたいと思います。

 

私は昭和生まれで昭和育ちですので、良い意味でも悪い意味でも、たとえ自分の意見が異なっても、「組織や先輩は正しく、そして組織や先輩に対しては従順であるべき」という一種の固定概念が根本にあります。時代が変化してきているとはいえ、若い学生時代に旧来の体育会的な思考をたたき込まれているので、心の利き手として軸を移すのが難しいのです。でも、礼節という意味では、日本の精神文化での大切な一面でもあるかと思っています。

 

それでも、現在の社会生活をしていく上で、私と同じ感覚で年下のメンバーに接していたら、まとまる組織もまとまりませんから、普段は自分の「自然行動」ではなく、「修正行動」をするように、無意識のうちに仮面を被って生活をしています。またその仮面も、時には重たく固いと感じるときもありますが、普段はそういうものだと、慣れているところもあります。(慣れなければやっていられない、という方が正しいかもしれません)

 

リーダーシップのあり方でも、最近ではサーバント型リーダーシップ要素の大切さを説かれることも多く、ハーモニーの総和を大切にする協調型の調整機能が、現代のマネージャーには求められているように感じます。

 

自分自身も、その流れには納得しています。それは、日本はすでに成長は終わり成熟社会を迎え、様々な環境で育った社員の個性をうまく生かさなければ、成果に繋がりにくくなってきました。またたとえ大企業であっても、「従業員の雇用を一生涯保証する」とのことを声高に宣言することは難しい。約束するとしたら、「雇用を保証する」というよりも、「自分の翼で飛べるような育成機会を作ることを保証する」といったほうが、どれだけ真摯だろうと、私は個人的に思っています。「会社の言うことを聞いていれば、あなたのキャリアを保証する。だから出向でも、左遷人事でも、会社の言うことを聞きなさい、悪いようにはしないから・・・」という時代はとうに終わっているんです。

 

けれども、私がどうしても看過できないのは、こういう時代にあっても、「自分の翼で飛んで仲間のための餌探しをしよう、という労を惜しみ、自分の好きなことができないのは他者のせいである」みたいな生き方をしている人。

自分キャリアは、誰かが無償の愛で与えてくれるものなのでしょうか? どこかから、白馬の王子は現れるのでしょうか? 

 

キャリアは、自分自身が努力し、時には他者とも対立しながら、自分の考えるあるべき姿を求めて、自分の負うべき荷物をしっかり背負って歩むときに、少しづつ出来上がっていくものと思います。そして、そのキャリア形成の目的は、自分自身の成長のためでもありながら、同時に社会や組織に対する何等かの貢献のためでもあるべきだと思います。すなわち上より与えられたミッションであり生きがいにも繋がってくるものとも思います。受けるだけでなく、与えることを実践しなければ、真っ当なキャリアは作れません。

 

自分にとっての優しい世界、好きな世界を実現できないのは、他者が悪いからではないのです。自分が自分に負けているからです。環境が好ましくないと思えば環境を変える努力を、自分が間違っていたと思えば自分を変える努力を、自分から行う必要があるのではないでしょうか。

 

かくいう私自身、日々試行錯誤の連続で、落ち込むことも多いです。

でも、たとえ不器用でも、キャリアの主人公は自分自身であることを、常に忘れずに歩みたいと思います。

 

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。

2020.3.10 #058