こんにちは。
本日は、「パーソナリティ障害」について考えたこと(その2)」と題して、前回より引き続き、
岡田尊司先生の書籍「人格障害の時代」を読んで感じたことをとりまとめてみたいと思います。
同書において、現代社会は、パーソナリティ障害が増加しているといわれています。
ただ、個別にその現象を見るのではなく、底流に流れている社会のあり方に視点を向けること
が大切であり、その解の一つとして、絶対主義時代の独裁体制からの脱却を果たした現代人は、
ともすると「自由」を、利己的に利用してしまう自己愛的な罠にはまりやすいからだ、としています。
社会環境も、通信技術の進歩で、ワンクリックで勝利と敗退、生と死がたやすく峻別できるような
世界を作りだし、いかにも自分自身が世界の主人公であるかのようにふるまえてしまうことも
助長しているようです。
私は、上記のことを考えながら、エーリッヒ・フロムの著作「自由からの逃走」を思い出していました。
中世の不自由な時代から自由を手にした市民が、その自由をいかに使って自立していくか。
でも、慣習やしきたり、不文律、宗教などの既成概念から解放されることが、ある種の「空虚」を
作りだして不安にさいなまれ、絶対者を求めてしまう心理を描いたものです。
パーソナリティ障害の自己愛的な、他者依存的な心の変形による「空虚」も、実は同じような
成り立ちをしているのでは、と思いました。
パーソナリティ障害の「空虚」は、何によって充填されるのか。
岡田先生は同書の中で、「もはや失われたものは手に入れることはできない。信頼できる人物
によって自分が肯定され、自分の価値を実感するとともに、自分の過去を受け止める体験をする
ことが必要となる。信頼できる人物や正しい導き手との出会いが不可欠である。人格は人格に
よってしか、癒されないし、変わらないのである」とおしゃっています。
人間関係は、環境が非常に大切であることを以前に書かせていただきました。
特にリーダーは、その存在自体が大きな影響力をもちます。
「人格」を持った方々の影響を受け、エネルギーをいただくことを通して、少しでも「自分」という
媒体から適正な「人格」を発することができるよう、研鑽を積みたいと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
2019.11.9. #022