こんにちは。

本日は、「「パーソナリティ障害」について考えたこと」をテーマに書き留めたいと

思います。

 

週末も外出が多く、本日は久しぶりに少し早めに帰社できたので、自宅のデスクで

心理学系の雑誌や書籍を読んでいました。

その一つは、精神障害関連では著名な岡田尊司先生の書籍で、パーソナリティ障害の

ことについて書かれていました。

 

ご存知の通りパーソナリティ障害とは、人格の偏りのために、社会生活をする上で、

自己と他者との関係を円滑にすることができずに何等かの支障が生じてしまうような

特性のことを言いますが、岡田先生は、色々なタイプの障害がある中で、以下の特有の

共通項がある、おっしゃっています。

 

  ・自分への強い執着

  ・傷つきやすく過剰に反応しやすい

  ・両極端な思考に陥りやすい

 

私自身を内省すると、どの項目にもあてはまるように感じています。

特に、一番最後の白黒思考といわれる二極思考は、私自身が現在マネジメントを

行う上で、自分自身そこからの脱却を試行している最中です。

 

でも、このような特徴を持っていたとしても、社会生活に影響を出してしまうか、自己制御

しながら修正行動をしていけるのか、2通りあるのではないでしょうか。

 

私が感じるのは、このような障害的な特徴が現れるのは、日々定まっている狭い

人間関係の中で、自己を相対化する視点を失ってしまうときに生じるものではないか、

ということです。

 

人は誰しも、まるで赤子のように、他者から見ていてほしい、認められたい、という願望が

あり、子供の頃には母親の笑顔で安心したように、不安定な社会生活の上で、

存在自体への承認が欲しくなるがゆえ、他者に求め過ぎてしまうのが原因ではないか

と思うのです。

 

一つには、自分の殻から、そして普段の生活圏内から少しだけ踏み出し、もっと多様な

人たちと触れあい会話する中で、自分の存在をより相対化することができるならば、

真摯な内省を進めていくことで、この負の面の障害的要素を少しずつ減じていくことが

可能となるのでは、と思ったりしています。

 

「こころの科学」という雑誌の中で、困難な状況の中にある人びとのために、その現場に

訪れて祈りをささげ続けた神父のお話しが掲載されていました。

自分のためにではなく他者のために自分をささげるような生き方は、私のような

未熟な者にはできません。

けれども、自分の存在を相対化して、ある意味、自分が天から与えられたミッションを

考え続けるような生き方の上に留まることができるなら、同じパーソナリティ障害的な

要素を持っていたとしても、それを負の面ではなく、正の面で活かすことができるのでは、

と考えたりしました。

 

逆境をしなやかに受け止めて、自分の個性を良い面で発揮できるような胆力を

養いたいと思います。

 

最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。

2019.11.6. #021