こんにちは。
今回は、パラリンピックで考えることを書き留めたいと思います。
本日、「オリンピック・パラリンピックは障害のある人のスポーツ参加に寄与するのか」というテーマで、
東京未来大学にてモチベーションフォーラムが開催され、参加させていただきました。
筑波大学の澤江先生が登壇されお話しをして下さいましたが、初めて知る内容も多く、
考えさせられることが多かったです。
パラリンピックの「パラ」は、ギリシャ語で「傍に、~と一緒に」という意味だそうですが、
そもそもの原語は、paraplegiaで「対麻痺」、すなわち両足に障害のあることを意味するようです。
パラリンピックがスタートした1960年のローマ大会は、対麻痺の選手が対象として参加していた
のだそうです。
それが1964年の東京大会では、2部構成となり、1部は対麻痺の選手、2部はその他の障害を
持つ選手たちが参加する構成となったようで、その後は段々とオリンピックとセットで
開催されることとなってきたのがパラの歴史です。
パラリンピックの価値(バリュー)は、「勇気、決断、鼓舞、平等」で、障害を持った方々が、
自分の身体を限界までチャレンジする勇気とその決断を持ち、それを通して他の障害のある
人たちにスポーツ参加の楽しみを伝えることと、それに加えて、パラアスリートがスポーツを通して、
障害のある人びとに対する社会的バリアと偏見を打ち壊し、ステレオタイプを変えていくこと
だそうです。
普段意識することなく過ごしてきた私にとっては、とても恥ずかしながら、このような大切な理念と
思いが積み重なったスポーツの祭典であったことを初めて知り、来年の東京五輪を迎える
気持ちが変わった感じがしています。
それと同時に、身体にではなく、心に大きな傷を負っている方々にとってはどうなのだろうと、
ふと考えたりしました。心の傷は目には見えません。でも痛みは同じように感じますよね。
心に傷を負った方々が、苦しみを発散し自分らしさを沸き上がらせ、社会からの評価を受けること・・・。
それは盛大な祭典というよりは、私たち周囲の人間が、見えないものを見る努力を行い、
小さなことでも勇気を持って日常からフィードバックをしていくことなのかもしれません。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2019.10.5 #009