こんにちは。

本日は、「日々の過ごし方」というテーマで考えたことをシェアさせていただければ幸甚です。

 

社会生活を営む上で、自ら事業を起こされていらっしゃる方、また企業にお勤めの方などそれぞれ環境は異なるでしょうが、「日々の歩みはすべて楽しいことで占められている」という超幸せな方は、私が想像するにはいらっしゃらないだろうと思います。仕事のことであったり、人間関係であったり、何かしら重たい、ネガティブな、解決を迫られるような課題が付きつけられることも、我々の毎日には少なくはないのでしょうか。

かくいう私も企業勤めをしておりますが、実感として7割方は、自分の不得手な役割を何とかこなしていくことに、疲労することも多々あります。

 

ご存知の方も多いと思いますが、ポジティブ心理学の祖であるセリグマン教授は、

幸福(well-being)となる要素として、PERMAモデルを提唱されておられます。

(positive-emotions=楽しい感情、engagement=没頭できるもの、positive relationships=

他者との関わり、meaning=人生の目的や意義、accomplishment=達成感 の5つの頭文字

をとったものです)

 

この5つの要素をうまく組み合わせ、そしてレジリエンス(逆境にあってもしなやかに耐えうる力)を発揮するとき、その人らしい個性が現れて、物事に前向きに対応できる可能性が高くなると感じます。特に私が感じるのは、「meaning=人生の目的や意義」の要素です。

エドガー・シャイン教授のキャリアレインボー理論にもありますように、それぞれの人生のステージで我々は色々な役割を持ちますね。企業でも同じで、経営者の視点で見れば、社員が各自の役割を全うすることで、企業体としての目的が達成される。でもその個々人の役割は、ただ単に労働契約上の対価をもらうための手段だけと考えればよいのでしょうか。

 

もちろんそのように割り切ることも可能です。

ただ、それぞれの役割には、単なる手段を超えた本来的に意味があり、だから「その人にこそ与えらた役割である」、という「意味」を深く考えたとき、同じ辛さであっても自分自身で前に進む力と、同志とともに進む一体感や力強さも感じることができるのではないかと思うのです。たとえ末端の実務であっても、その人らしい個性を発揮でき、その人がかかわった証になる。「意味を考えること」を放棄してしまうのであれば、本当にシンギュラリティが訪れる頃には、我々の多くの仕事は消滅するでしょうし、ビジネスパーソンとしての価値も消え失せてしまうのでは、と思ったりしています。

 

慶応MCCのクロシングという学術webサイトがあるのですが、その中の講座で登壇されていた脳科学者の茂木健一郎さんが、「科学的に見ると「運」というものは無いけれども、「運」があると信じている人だけができることがある」とおっしゃっていました。

ポジティブに思考し、自らがキャリアの主人公となり、辛くても自ら決断をして責任を取りながら歩を進めるとき、はじめてwell-beingが与えられるではと思います。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

2019.9.28. #005