こんにちは。

本日は、「人生が問い掛けてくるもの」というテーマで、最近考えていることを

書き留めてみたいと思います。

 

深層心理学で有名なユングが「人生の正午」という考え方を打ち出されている

ことは、多くの皆さまがご存知のことと思います。

ちょうど40歳頃を境にして、まるで太陽が正午を超えて午後になり、光を照らす

角度が午前とは異なってきたときに、今まで見えてこなかった影の部分が

明らかになってくる・・・

つまり人生を逆算して考えるような成熟段階に入ったときに、いままで考えることも

なかった視点が与えられるような気がします。

 

私自身、50歳台半ばに差し掛かっておりますが、これから自分には何ができる

のか、何をしなければならないのか・・・

 

発達心理学的な見方をすれば、エリクソンのいう成人期において、課題となる

「世代性と停滞」という、まさしくその課題に直面していると感じています。

 

そんな中で私が最近出会った本の一つに、

いままで私が学びをしてきた中で、講義やセミナーで大変お世話になり敬愛している

諸富祥彦先生の著書『悩みぬく意味』があります。

諸富先生はその中で、「私のしたいこと、やりたいことをするのが人生だ」という

人生観から、「私のなすべきこと、私がこの世に生まれてきたことの、意味と使命

とを実現していくことが人生だ」という人生観へと転換することの大切さを説いておられます。

つまり、「固有の使命」というものが人それぞれには与えられている、ということです。

 

愚鈍な私には、今現在の職場や家庭における近未来レベルのことは別として、

本来的に「問い掛けられているもの、求められているもの」はまだ見えてきていません。

「このような生き方、このような働き方が自分らしいのではないか」と考えて

いることはありますが、本来与えられている使命に繋がるものなのだろうか・・・

それでも、「私」に負けずに追い続けていきたいと思います。

 

もちろん、正解は無いのでしょうし、もしあるとしたら、この世での命を全うするときに、

「これでよかった」と思える自己肯定なのかもしれません。

 

まるで試合終了を告げるホイッスルが鳴ったとき、コートの上で、疲れてはいるけども

さわやかな充実感を感じるプレイヤーのような、そんな機会が与えられたら素晴らしい

ことだと思っています。

 

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。

 

2019.9.22. #003