皆さんこんにちは。

本日は、「人間とAIの違い」について書き留めたいと思います。

 

先日、AI研究で著名な松原仁先生の講演を聞く機会がありました。

AIは、スタートの頃は学習の歴史も短かったために十分な記録が揃わず、問いに対しても的を外すようなことも多かったのですが、最近は相当データを貯蔵できたようで、人間の問いに対する答えも精度が上がってきているようです。

 

またAIは、単なるデータの組み合わせで適切解を作るだけはなく、例えばクライエント側の端末(スマホレベルも可)から入力をすれば、過疎地域や公共交通が不便な地域でも、行政側の用意している乗り合い自動車の予約が可能となり、リアルタイムでの需給調整(乗る人、乗る場所、乗る自動車の最適解を常にアップデートする)が出来るようなことも実現しているとのこと。そういう用途でも社会貢献を始めているようです。

 

また囲碁や将棋もそうですが、過去の勝負歴を記憶し、定められたルールやコマの動きの中での最善手を瞬時に導き出すのは、もうすでに人間は勝てないといわれています。

 

 

しかしながら松原先生は、AIと人間の違いを以下のようにお話されました。

 

・AIは、物事を理解して回答しているわけでは無い。単にデータの上で想定される答を

だしているだけである。すなわちAIは物事の意味を理解していない。

   ・AIは、論理的なことは優秀だが、情緒的なことに対して対応できない。

 

私はこの違いにとても共感しました。

人間は、外側からの刺激に対して反応するのですが、ただ無条件に反応しているわけではありません。その刺激を受け取り、過去の記憶を想起し、それが自分にとってどのような物事か(好きか嫌いか、正しいか間違っているかを過去のスキーマに照らし合わせて判断する)を認知し、それとともに沸き上がる感情を制御しながら社会適応をするよう行動を起こします。この情緒の部分があるから「人間」なのであり、想像以上の力を出せることもあれば、全く力を出せずに失敗してしまうこともあるのだと思います。

 

AIによってさらに人間の生活が便利になる部分もあるのでしょうが、心理的な受容や励ましなど、AIにできないことを過信して猛進するようなビジネスや組織管理をやってしまっては、そもそも人間としての自滅になってしまうと思います。

 

便利さの陰にある「見失ってはいけないもの」を、しっかり見つめていきたいと思います。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2024.7.20 #348

 

 

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皆さんこんにちは。

本日は、「「夢追い軸」にシフトすること」というテーマで書き留めたいと思います。

 

医療モノのドラマでよく見る場面があります。

目の前に苦しんでいる患者を見ると、採算を度外視してもその患者を助ける医師がいる一方で、医療も事業の一つであるのだから、採算の立たない治療は行うことを控えるべきであると考える病院経営者との戦いのシーン。

 

どちらも間違っていないし正しい判断をしているのです。

医師たるもの、目の前に患者がいたらまずは自然と治療をするのは当然のこと。でも、病院経営が苦しくて医師の給料すら出せないのであれば、そもそも治療行為にはつながらない、というのも然りですね。

 

 

企業内でも同様に、重ならない軸同士のすれ違いが良くあると感じています。

 

組織の進むべき方向性や組織全体の利益を考え、経営資源を分配して各種機能を維持し、活動の継続を図ることが経営の仕事であり、このような経営軸は企業運営の基本だと思います。

けれども、企業活動のエネルギーの源泉は「モノ」ではなく「ヒト」であって、その「ヒト」が発している声を聴かなければ、いくら数値上で正しく経営資源を分配しても、うまく機能するかは疑問です。

 

仕事の前線で「苦しい」「是正して欲しい」と声を上げている社員がいて、それが正しく報告されているにもかかわらず、「全体の利益」という名のもとに、また「人事権」を曲解して、現場の小さな声なき声を聴くことができないような経営なら、たとえ形式上の実績を残せたとしても、少なくとも私は魅力を感じないです。

 

医師が現場で苦しんでいる患者を無意識的に治療するように、現場で苦しんでいる社員に寄り添い、支援をしてその社員が再び元気を取り戻して実践に復帰していけるよう見守るような生き方、そんな生き方を私は軸にしたいと思っているからです。

 

多くの医師は、苦しんでいる患者を救いたいという志をもって医師になることを目指してきたのだと思います。企業活動でも同様に、最初から経営資源の分配のような机上のゲームをしたいと思って会社勤めを始める人間は少ないのではないかと思います。

 

私は、支援人事職としての夢をもって長いこと歩んできましたが、企業経営もさらに複雑な環境になってきていますので、自分の歩みの延長線上で、どうしても軸が合わなくなることも生じてくるかもしれません。その際には、一度しかない自分の人生ですから、後悔の無いように決断をしたいと思っています。

 

他者は色々な評価を下すものです。

けれども人生の主人公は自分自身であり、義務や責任と同時に選択する権利も自分自身にあるのです。それが「自由」ということの表裏にあるものだと思っています。

 

私は「夢追い軸」を大切にしたいと思っています。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2024.7.13 #347

 

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皆さんこんにちは。

本日は「見えている世界を疑うこと」というテーマで書き留めたいと思います。

 

池谷裕二さんの『夢を叶えるために脳はある』という本を読んでいます。その中で学んだことを自分なりに考えてみました。

私たちが存在している世界は3次元の世界ですが、網膜を通して入ってくる情報は2次元に変換されます。同じ大きさの物体を見る場合、2次元ですから網膜上に映るのは、近くであれば大きく、遠くであれば小さく映るのですが、私たちはその物体の大きさが変わっているとは感じませんね。これは「知覚の恒常性」というもので、網膜上に映る大きさが変わっても、脳が調整をして大きさに変化はないという認知を備えているからです。

 

 

同書の中に、このような表記があります。

 

みなさん おはよういござます

よしろく おねがいしいます

 

よく見ると誤字だらけの表記なのですが、それほど違和感なく朝の挨拶として読める方が多いと思います。私もあまり違和感を持ちませんでした。

つまり私たちは、無意識のうちに自分の記憶を通して、朝の挨拶であるというスキーマで誤字を修正しながら読んでしまうわけです。

逆に言えば、いちいち誤字であることを気に留めるような注意を常に払っている方が能力発揮上は非効率で、社会生活には適さないともいえるでしょう。

 

このことは、私たちは普段の生活の中で、「物事を正しく見る努力をしているか」という問題提起に繋がると思います。スピード社会であるがゆえに、一部の記憶やスキーマに基づいて認知することがすべて悪いわけではありませんが、「見えにくい正しい事実」、「声にならない声」、「行間にある思い」など、本来はしっかり診て聴かなければならないものを避けて通ってはいけないのだと思います。

 

政治でも企業組織でも、すべての人間の意思を反映した運営はできません。でもどれだけ自分のスキーマから離れ、他者を診る努力、他者の声を聴く努力をしたどうか、そこが納得性を上げる指標になるのではないかと思います。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2024.7.6 #346

 

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皆さんこんにちは。

本日は「人生100年時代の考え方」というテーマで書き留めたいと思います。

 

教育実践家の藤原和博さんは、社会に貢献するためには「希少性」が必要、とのお話をされています。希少性とは、誰でもできる汎用的な能力ではなく、100人に一人というくらいに稀な能力やスキル、魅力を持つ人間となることであり、その100人に一人の差別化できる特性を、最終的に3つ持つことが本来の「希少性」に繋がると言っています。

 

成熟社会においては、便利さを享受できる反面、DX化の流れの中で通常のオペレーションはほとんどが標準化されてきています。よって、我々は希少性を持てなければ、社会に貢献することすら難しくなり、機械が行うことが不得手な分野のサービス労働を行うように仕向けられてしまいそうです。

 

どうしたら希少性を持つ特性が得られるか・・・

それは各々で考えていくしかないのでしょうが、解の一つは「常に学び続けること」ではないかと私は思っています。

 

 

標題にも記載しましたが、100年生きることが珍しいことではない時代になってきました。100年生きるとすると、一般の会社の定年である60歳は「上がり」のタイミングではなく、まだ残りの40年のために「投資」が必要な時期であるといえますね。

 

そういう視点で考えると、私の周囲でもその年代の方々の中には色々なタイプの方がいます。

残り40年を考えれば、自分に対する投資が必要な時期であるにも関わらず、一切新しいことを学ぼうとしない方、またなるべく楽をしようと自分勝手に振る舞う方もいれば、地道に自分の成長を求め、実直に学びを継続している方もいます。

 

そのような努力をされている方とお話をさせていただくと、その方たちに共通して言えるのは、「向上心」と「克己心」か強い方々だと思います。

向上心はもちろんですが、社会への貢献の思いというのが、単なる自分への満足のためではなく、自分の与えられた「生命」の意味を考え、自分でできることを探して挑戦し続けるような生き方をされているのです。

 

私も非常に励まされていますし、そういう方々と話をしていると、苦しい時でも努力する勇気をいただけるような気がしています。

自分の殻に閉じこもるのではなく、一歩踏み出して新しい繋がりを作りながら、常に自分をアップデートしていけるような歩みをしていきたいと思っています。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。

2024.6.29 #345

 

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皆さんこんにちは。

本日は、「賛同を求めすぎてはいないか」というテーマで書き留めたいと思います。

 

人間誰しも判断に迷ったときは、他者の意向が気になりますし、自分の意見に賛同をもらえれば力強いと感じます。特に結果が伴わないとき、あるいは結果を出せるかどうか不安な時には尚更ですよね。

 

でも中には、常に身近にいる他者の賛同がないと不安で前に進めないようなタイプの人間もいます。自分自身で結果を背負うことの恐れがそうさせているのでしょうが、それではあまりにも自我が無さすぎるのではないかと思ったりします。そういう人間に限って、自分の調子がいいときには、周囲の見守りの目には全く気が付かず、自分で事をなしえたと勘違いしたりします。周囲の人間は「保険」ではないんですけどね・・・。

 

 

料理人の笠原将弘さんの講演を聞く機会がありました。

ご自身のお店を出して、現在「予約のとれないお店」になるまでのご苦労などをお聞きしましたが、その中で、「料理は好みがあるから色々なご意見があっていいと思う。9割の方に賛同いただけなくても、1割の熱狂的な美味しいと言ってくれる支持者がいるような店を創りたい」と言われていたことを思い出します。

 

そこには、笠原さんのご自身の料理に対する自信とともに、妥協することを許さない強さを感じます。良しも悪しも、自分の料理そのものを評価して欲しいという達観すら感じるのです

 

妥協することがすべて悪いわけではありません。政治の世界でも、自分の考える政策を実現するには、大同小異で連立を組まなければならないし、それも社会的な責任の一つでもあるかもしれません。企業内でも同様なことはあるのでしょう。

しかしながら、自分の役割を全うするために「妥協」ばかりしていたら、何がその人に与えられた本当の役割なのか、その人の個性を本当に活かすことができるのか、私は疑問に思います。増してや常に他者の賛同を得ないと不安でしょうがないのだとしたら、誰の何のためにその人は生きているのか、企業人である前に考えなければならないことなのだろうと思うのです。

 

あるラジオの人生相談の話をききました。会社や世間での適応が難しいので自分の性格を変える努力をしたい、という相談だったのですが、相談者は50歳中盤で、家族の養育も無事に終えてまじめに働いている方でした。アドバイザーは、次のように言われたのです。

 

「あなたが20代や30代であれば、世間に合わせる努力も必要かとも思うが、自分の年齢と現在の環境を考えれば、世間に合わせなければいけない道理がどれほどありますか」

 

私も全く同感でした。自分のわがままや障害ゆえに、常に周囲との軋轢を生んでいるのならば改善が必要でしょうが、与えられる環境は、好ましい場合もあれば腐った環境である場合もあります。運不運、向き不向きで考えて判断しても決して間違っていないと思うのです。

 

1割の熱狂的な支持者を得られるような、素直で愚直な生き方を私も見習いたいと思います。

 

最後までお読みくださり、どうもありがとうございました。

2024.6.22 #344

 

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