「研修で人は変わるのか?」について考えてみる | 人材開発のすすめ

人事の方々とお話をしていてよく聞かれる質問の1つに「研修で人は変わりますかね?」というものがある。特に受講者の年齢が高くなる管理職を対象とした研修の際には、はっきりと言葉に出さないまでも、頭をよぎっている様子が伺える時がある。

ここでいう「変わる」ということは、日常の行動(考え方、仕事への取り組み姿勢、コミュニケーションの取り方、etc.)に変化が現れるか?現状からの成長はみられるか?ということで使われていることが多いように思われる。

人材開発の仕事をしている私がこんなことを言うのも変なのだが、誤解を恐れずに言うと“一般的な集合研修”では、人は変わらないと思っている。

ここでいう“一般的な集合研修”とは、ある属性により選出された複数の受講者に対して、その受講者達が抱えていると予測される最も代表的な課題をテーマとして取り上げ、その重要性を説きながら教育をするというものである。

それではなぜ変わらないのか?

その理由には大きく3つあると感じている。

1. 受講者がそもそも必要性を感じていない。

2. はっきりとした評価をしない。

3. 再チャレンジの場がない。

1.受講者がそもそも必要性を感じていない。

これは、受講者自身が研修のテーマについて全く課題を感じておらず、また切羽詰った状態にもないということがある。簡単に行ってしまえば、学ぶ動機や研修のテーマが自己の実利に結び付くと感じる状態にないということである。逆をいえば、受講者自身、自分には何が欠落しているのか理解していない状態にあるともいえる。(ちなみに、自分自身で自分の何が欠けているかを客観的に観ること(メタ認知)は、個人作業としては非常に難しいということが問題の背景にある。)

2. はっきりとした評価をしない。

これは、研修のゴールである「求めるレベル」に対して、受講者の「達成レベル」がどの程度であるかをしっかりと成績として評価し伝えるしくみが無いということである。この背景として、研修プログラムをつくる側の者が受講者の職務について、具体的にどのような場面で、どのような能力が、どの程度必要なのか、を明確に深掘りできていないということから、受講者の能力をはっきりと評価することができないということがあげられる。

3. 再チャレンジの場がない

少数ではあるものの、何らかの評価(フィードバック)を受講者へしているところもあるが、その後その評価を受講者が覆せる再チャレンジの場が用意されているところはほとんどない。学習とは本来、失敗したあとに「次はこうしよう!」と同じ失敗をしないように、自己を見つめ直し、その原因を探り、解決へ向けて自分なりの打開策を考え、行動するところにあるのだが、この「次はこうしよう!」の再チャレンジの場が用意されているところはほとんどない。

誤解があるといけないので補足させてもらうと、ここで言う“一般的な集合研修”を全面的に否定するつもりは全くない。そこには、社内ネットワークの構築や親睦、非日常空間において皆で一つの課題について考え、話し合う時間をオフィシャルな場として持つといったような様々な目的が存在する。しかし、もし目的がそうだとすれば受講者へ明確な「行動変容」を求めてはいけないと思うし、逆に研修を通して「行動変容」を成果として求めるのであれば、最低でも上記に掲げた3つについては考える必要があるのではないかということである。

研修と受験勉強とは話が違うが、試験もなければ評価(成績やフィードバック)もない研修で、明確な「行動変容」だけを求めるのは無理があるような気がしてならない。