「普通」という言葉 | 人材開発のすすめ

先日ある営業マンとの商談のなかで“普通”という言葉を数多く耳にする機会がありました。「普通はこのようにします」「こうするのが一般的です」という表現を多用する営業マンだったのですが、その説明を聞きながらふと大学時代にとった論文の授業を思い出しました。

私は大学時代を米国で過ごしたのですが、その大学の必修科目に「論文の書き方」なるクラスがありました。

どのような授業だったかというと、毎週与えられる議題(テーマ)について「賛成」もしくは「反対」の立場を決め、その理由(根拠)を論文としてまとめるという内容でした。

最初は訳も解らずただひたすら(なんとか見栄えするページ数を埋めることを目的に)書くのですが、それがことごとく否定され、最初の頃はほとんど「イジメられている」ような状態が続きました。

その時、教授が何度もしつこく私に指摘をしたのが“普通”という表現に対してでした。私が、論文の中でusually, in general, normally(普通、一般的を意味する単語) という表現を使うと、その表現が出る度に「君は、君のいう“普通”と私(読者)の“普通”は一緒だと思っているのか?」「君が考える“普通”の話には全く興味がない、どうしても自分の考える“普通”を言いたいなら、論文の最後に感想として書け(ちなみにそれは採点の際に何のポイントにもならないけれど・・・)」「君のいう“普通”は全体の何%に達したときにその表現を使うのか教えてくれ、そしてそのデータも同時に見せてくれ」とすごい勢いで指摘されるのでした。その都度、私は返答に困り、追い詰められたような気になっていたのを今でも昨日のように覚えています。 

話を営業マンの話にもどすと、“普通”という言葉を多用されることにより、その商品やサービスの内容があやふやになるだけではなく、“普通が一番”という何の説得力もない理論で押されているような印象を受け、あまり共感することができませんでした。

同じ業種や職種に長年いると、自分でも気がつかぬうちに、「なぜそうするのか」を忘れ「普通はこうする」という安易な説明や既成概念に捕らわれた表現をしてしまうのかもしれません。

しかしその商品やサービスに初めて接するお客様にしてみれば、“普通”という表現は何の役にも立たず、“なぜそうするのか”を丁寧に説明してほしいものではないでしょうか。

もちろん、経験豊富な営業マンやコンサルタントに対して、その人の経験知や感覚的な意見を聞きたいとう場面もあるかと思いますので一概に“普通”という表現がいけないということは無いと思いますが、“自分の普通は、みんなの普通ではない” という教えを再度認識することができた出来事でした。