横浜の中心街中区は江戸時代初期までは入海と云われた内海であったが、1654年に材木商・吉田勘兵衛によって吉田新田として開墾された 開墾された地域は現在中区と南区に区割りされている 中区の町名は東西に町割りされているが長者町だけが南北に走る「横浜駅根岸道路(横浜市道)」に沿って町が展開されている

【横浜入海の開墾】

【開墾後の現在】

【吉田新田開墾後の中区町割り】

 

この中区長者町の風景・建物を描いた

 

長者町の始発点長者町1丁目

首都高速狩場線が上を走る中村川に架かる車橋から横浜駅根岸道路を望む

 

長者町3丁目交差点

東京ガスライフバルの店舗が入るビル群が並ぶ住宅商業地区

 

大通り公園に接する長者町4丁目・5丁目

大通り公園の地下には市営地下鉄伊勢佐木長者町駅があり、横浜駅根岸道路に面してチサンホテルが建っている

 

伊勢佐木町通りに混在する長者町7丁目と伊勢佐木町3丁目

横浜駅根岸道路と伊勢佐木町通りに交差するエリアは長者町と伊勢佐木町が混在している 交差点の角にあるドン・キホーテの建物は伊勢佐木町3丁目になるが伊勢佐木町通りの向かいは長者町7丁目になる

 

長者町の終着点長者町9丁目

大岡川に架かる長者橋から横浜駅根岸道路を望む 大岡川の脇に建つ吉田興産ビルは江戸時代初期に吉田新田を開墾した吉田勘兵衛の敷地跡に建つ末裔企業