小江戸と云われる埼玉県川越と武蔵野の趣を留める新座の風景、建物を描いた

 

喜多院<川越市>

830年(天長7年)慈覚大師円仁により武蔵野台地の北端に星野山無量寿寺を創建 1204年~1206年(元久年間)に焼失 1296年(永仁4年)尊海僧正により再興され仏蔵坊(現喜多院)・仏地坊(現中院)・地蔵坊(南院<多門院>で現在は墓石と供養塔が残るのみ)の三坊構成で関東天台宗の学問所・修行所として栄えた 1537年(天文6年)に焼失後長らく荒廃したままとなる 1599年(慶長4年)天海大僧正が喜多院の法灯を継いだことを契機として再復興を果たす 徳川幕府の信任が厚かった天海は家康公・秀忠公・家光公の顧問的存在として重用された 家光公の命により江戸城の御殿が一部移築されている 「家光公誕生の間」「春日局化粧の間」等壮大な江戸城建築の一端を垣間見ることが出来る

 

菓子屋横丁<川越市>

約30軒程度の菓子屋などがひしめく川越の有名スポット 素朴で昔懐かしい時を今に伝える菓子作りの店が立ち並ぶ

 

蔵造りの町並み<川越市>

江戸時代の蔵造りの街並みが残る商店街 蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で江戸の町屋形式として発達した

 

時の鐘<川越市>

創建された江戸時代(1627年~1634年)の初期から暮らしに欠かせない「時」を告げてきた小江戸川越のシンボル 現在の鐘楼は1894年(明治27年)再建されたもの 建物は三層構造で高さ約16m

 

平林寺<新座市>

1375年(永和元年)の南北朝時代に武蔵国(現在のさいたま市岩槻区)に鎌倉建長寺の住寺であつた石室善玖禅師により開山した 戦国時代の戦禍を受けた平林寺は徳川家康公の厚情により中興し、川越藩主と幕府老中を勤めた松平伊豆守信綱の一族の菩提寺となり1663年(寛文3年)信綱の遺命によって現在の地に移転している