【親子間の憎悪に愛はあるか】
(30代女性の後悔の体験談)
母と子の別れ
二十歳で専門学校を卒業しましたが就職先はしませんでした。学生時代に知り合った彼氏の子を身ごもったため、すぐに結婚して専業主婦になったからです。
卒業半年後には可愛い男の子・翔太が生まれました。若くして母になったことで周囲のみんなは心配してくれたけど、隣市に住んでいた義両親のサポートがあり、夫もイクメンとして協力してくれたおかげで大した苦労はありませんでした。
しかし、2年目から大きな変化が起きたのです。翔太が小児喘息を発症し病院に駆け込むことが多くなったのです。夜中に病院に行くこともしょっちゅうでした。さらにアトピー性皮膚炎にもかかり、その処置に追われる毎日が続いたのです。おかげで私のストレスはピークに達しました。
見かねた義母が全面的に育児や家事を手伝ってくれるようになったのですが、これが逆に良くない結果を招くことになってしまいました。まだ若くて遊び足りなかった私は、その好意に甘えて、ストレス発散という名目で外出するようになったのです。そして、ある男性と知り合い禁断の恋に落ちてしまったのです。
実をいうと、その頃の夫とはレスになっていたのです。会社から若手のホープとして期待されていた夫は毎晩遅くまで働いており、帰宅してからも翔太が夜中に発作を起こすと病院に連れて行ってくれるなどして疲労困憊していたからです。
決して嫌いとかではなかったのですが、誰かに構ってもらいたいという衝動から、つい優しく接してくれた40代の会社社長と関係を持ってしまったのです。
関係は1年以上続き、それが発覚したことで私たち夫婦は離婚しました。翔太は夫が引き取ることになり、私は独り身だった会社社長の家で同居することになったのです。
事情を知る人たちからは「子どもに未練はないのか? 会いたくないのか?」と聞かれます。でも、そんな気持ちは起きませんでした。暮らしたのは4年弱だし、可愛いと思っていたのは病気で振り回される前だけで、最後の1年はネグレクト状態でしたから。だから、面会交流権も自分から放棄したくらいです。
そんな私は酷い母親でしょうか? そう批判されても否定はしませんけどね。だいいち会うのが辛いんです。
最後の別れの日、何も知らない翔太は私にべたべた甘えて、満面の笑みを浮かべながら「ママ、大好き!」と言ってくれました。それがかえって心苦しかったのを覚えています。
それから数年経ち、私は社長と事実婚し新たな家庭を持っていました。子どもはいません。相手が欲しがらなかったのと私自身子育てにトラウマを持ってしまったからです。だから、翔太のことを思い出すこともありませんでした。親友などは「辛いから思い出さないようにしてるんでしょ」と同情の念を込めてかばってくれますが、本当に自分の中で断ち切ったのです。それは別れて2年後に会ったときの出来事に起因しています。それは……
「翔ちゃん……」
どの面下げて会えばいいのかわかりませんでしたが、とりあえず恐る恐る声を掛けてみました。2年も会っていないので顔を忘れていないだろうか、嬉しそうな顔をして駆け寄ってくれるのか、泣きながら抱き着いてくれるのか……様々な思いが頭を駆け巡りました。
「お母さん?」
小学生になったので、もうママではなくお母さんと呼ぶようになっていました。これだけで成長を感じます。
「大きくなったね」
成長した姿に思わず目が潤んできました。
「おいで……」
しゃがんで両手を広げました。でも、翔太はじっとしたまま。照れているんだと思いました。でも……
「くそばばぁ」
「えっ……?」
翔太の放ったひと言で現実に引き戻されました。
目に憎悪は感じられませんでしたが、すごく醒めた感じが伝わってきました。そして、そのまま背を向ける翔太。懐かしや嬉しさは微塵もなく、ただただ私を憎んでいる……我が子を捨てた母を許さずにいる……。これが現実でした。そして、この日を最後に二度と会うことはなかったのです。
翔太のことは完全に私の記憶から消去されました。私も吹っ切ったからです。いくら私が悪かったとはいえ、あんな態度を取られたら、いつまでも引きずってはいられないからです。むしろ清々して新しい人生を歩む決心がついたくらいです。そして、社長とも正式に籍を入れました。心機一転……そう思うようになってからは順風満帆な日々を送れるようになったのです。
でも、それから数年経ったある日のことでした。私の周りで怪異な現象が頻発するようになったのです。
怪異の始まり
まず、家の中の電球が次々と切れていきました。このときはちょうど寿命だったんだろうなと思ったのですが、それらの出来事を機に電気機器がおかしくなり始めたのです。なんの前触れもなく、突然パソコンが壊れました。買ったばかりのプリンターがすぐに故障しました。他の電気機器も壊れないまでも、スイッチを入れてもすぐに作動しないなど不具合が生じるようになったのです。こういうことが続くとイライラは募る一方です。まるで家の中が呪われているかのようでした。
特にそう感じるのは、一人で家の中にいる夜の時間帯。リビングなどの照明が点いたり消えたりを繰り返すのです。
「なんでこうなるの? 電球は買えたばかりなのに」
長年愛用しているコーヒーカップが洗っている最中に突然割れてしまいました。特注で作った天然石のブレスレットの紐が切れて玉が飛び散ってしまいました。玄関にシーサーの焼き物を守り神として飾ってあったのですが、気がつくとひび割れが入っていました。どれもみんな私の大事なものばかり……それが次々と壊れていくのです。
ラップ音も聞こえるようになりました。最初は温度変化などで軋みが発生する家鳴りかと思っていました。でも「ミシミシ」「パキッ」という音なら理解できるのですが、「パンパン」「ドンドン」「コンコン」など、何かを叩くような音が空中で鳴るのです。
ネットで調べてわかりました。これがラップ現象だということが。
霊感があるという占い師にこれら一連の出来事を話して視てもらうことにしました。
「あなたの家の中に邪気が溜まってますね。電気系統にそのような現象が起こるのは、邪気があるから。良くない氣が入り込んでる。そのために結界が緩んでしまい、シーサーも防ぐことができずに割れたんでしょう」
「私か主人のどちらかが誰かに邪推されて、家の中に念を飛ばされてるってことですか?」
「家を視ていないのでなんとも言えません。それよりもあなた自身に変わったことは?」
「とくにありません」
「そうですか。ブレスレットが壊れたのは良くないこと。おそらくブレスレットはあなたの身代わりになってくれたんでしょうね」
「えっ? それがなければ私の身に何かあったってことですか!」
私は急に怖くなりました。
「原因がわからないのに、どうすればいいんですか?」
「お祓いをしてもらうのが一番なんですが、自分でやるならお札を貼り、塩を盛るなどしてください。お風呂にも入浴剤ではなく塩を入れて体をメンテナンスするといいでしょう。部屋の中には波動が良いと言われるクラシック音楽を流すようにしてください」
言われたとおりにやると、家の中での怪異現象はピタリと収まりました。これで一安心と思ったのですが、しばらくすると今度は私の体や周囲で変なことが起こり始めたのです。
朝起きたら突然片方の瞼が腫れていました。まるでお岩さんのように……。冷やしているうちに腫れは引いたのですが、未だに原因はわかっていません。
朝、鏡を見たら片目だけが出血して真っ赤になっていました。眼科で診てもらったところ結膜下出血と診断され、誰もがなりうる疾患であり放っておけば治ると言われましたが……。
それ以降、朝起きると気分が悪くなり戻してしまうなどの体調不良が頻発しました。家の中では何気ないようなところでつまづいたり、床にこぼれていた油で滑って転倒したりすることが続きました。椅子に座ろうとしたときに脚が折れてひっくり返ったことも……。頭を打っていたら大変なことになっていたかもしれません。
やたら物がなくなるようになりました。忘れるようにもなりました。長年にもわたるいつも通りの行動パターンなのです。なぜかうっかりやってしまうのです。若年性健忘症というわけでもあるまいし……。他人から見れば、大したことないと思われるかもしれませんが、几帳面な私がそんなうっかりミスをすることが信じられなかったのです。だからこそ怖かったのです。
「誰かに操られてる?」
ふと、そんなことを思ってしまいました。身代わりになったブレスレットが無くなったことで、今度は私自身に何かが降りかかるのではと不安になりました。
実際、危ないと思われることが何度も起きています。
動物には好かれる方だと思っているのですが、なぜか散歩中のペットの犬に唸られたり吠えられたりするようになりました。飼い主は皆一様に「いつもはおとなしいのに……」と首をかしげるばかり。
友人と一緒に歩いているときも吠えられてしまい、そのとき友人は……
「あんたに何か憑いてるんじゃない? それで吠えてるのかもよ」
冗談めかして言うのですが、私には笑えませんでした。なぜなら思い当たる節があったからです。
別の友人の赤ちゃんは懐いてくれていたのですが、ある日から突然私の顔を見るなりギャン泣きするようになったのです。街中や電車内で母親に抱かれた赤ちゃんが、私と目が合った途端泣き出すことが多くなったのです。後ろに誰かがいるのかと思い振り返るのですが、誰もいません。いや、一回だけ目らしきものが浮かんでいるのを見たことがあります。そのときは気のせいだと思って気にしなかったのですが、今にして思えば……。
一番怖い思いをしたのは、横断歩道の赤信号で待っていたときのことでした。隣に立っていた人がいきなり車道側に前のめりになったのです。てんかんの発作でも出たのでしょうか。
危ないと思う間もなく、その人の手は私の腕をつかんでいました。当然のことながら、私も引っ張られるように転倒してしまいました。そのとき車が私たちの目の前に!
キキィー!
けたたましいブレーキ音が辺り一帯に響き渡りました。幸い車は直前で止まり、轢かれずにすみましたが、私は血の気が引いて気を失ってしまったのです。
気がついたのは救急車の中でした。運良く擦り傷ですんだのですが、もしかしたら車にぶつけられて命を落としたかもしれません。それを思うと背筋が凍ってしまいました。しかし、自分に襲い掛かる怖い状況はさらに続いていたのです。その日、私が行こうとしていた飲食店で火災が起きていたからです。二度も死の危険にさらされたということで、どっちにしても命に関わる災難が待っていたことになります。
「怖い……誰かが私を呪ってる?」
そんなことを考えてしまいました。そして、咄嗟に思い浮かんだのは翔太でした。急に犬が吠えだしたり、赤ちゃんが泣いたりするのも、背後に何か憑いていて、純粋な目にはそれが見えていたからではないかと思うのです。そうなると思い当たるのは翔太……?
でも、我が子が母親を恨んで念を飛ばすなんて考えられません。ましてやまだ小学生です。人を呪い殺すなんて考えにも及びません。それに、怒ってはいるもののそこまで憎んではいないはず。最後に会ったときも醒めた目をしていましたが、憎しみのあふれる目つきではありませんでした。だから、信じたくはなかったし、考えようとも思いませんでした。
拡大する災難
しかし、そうも言っていられないことが起きてしまったのです。今度は夫に身の危険が降りかかってきたのです。
最初は混雑する駅の階段で転倒し骨折してしまいました。骨折といってもひびが入った程度ですみ日常生活には差し障りありませんでした。
翌日には工事現場を歩いているとき、目の前に工具が落ちてきました。
さらに、駅のホームで電車を待っているときに、人にぶつかられて線路に落ちそうになったのです。
「厄年でもないのに次から次と……いったいなんなんだ?」
いつになく弱気になる夫。
「この頃変なんだ。災難に襲われるだけじゃなく、仕事でも取引先が次々と手を引いていくし、このままじゃ倒産してしまう……」
「悪いことって続くものよ。それに大事には至ってないんだから気にしないで」
そう励ますしかありませんでした。でも、本音では私が一番気にしてたんです。やっぱり祟りではないのかと。
そしてついに、死に至りかねない出来事が夫を襲います。車を運転中に胃に激痛が走り、電柱にぶつかってしまう交通事故を起こしてしまったのです。奇跡的に大きな怪我をせずにすんだのですが、下手をすると命を失いかける事故でした。
「俺はもうだめだぁ! このままじゃいつか死んでしまう!」
夫はガタガタと体を震わせながら、私の膝の上で子どものように号泣しました。
このままでは二人とも参ってしまう。私だけでなく、夫にまで災難が降りかかるのはどうしても防がなければ!
私は神頼みのような気持ちで、以前に視てもらった霊感占い師の元を尋ねました。そして、今までの出来事をすべて話し、祟られているのではないかと聞いたのです。
「確かに何かを感じる。はっきりとはわからないんだけど、あなたに対して何かを思っている人がいるのは確かです」
「それって、ひょっとして子どもですか?」
知りたくはなかったけど思い切って聞いてみました。
「どうしてそう思うの?」
不思議がる占い師に、過去の翔太とのいきさつを話しました。そのことが原因で呪われているのではないかと。
「なるほどね、そんなことがあったんだ。でもね、小学生が念を飛ばすことなんてあり得ませんよ。虐待死したとかでもないのに。ましてや血のつながった親子でしょ」
「でも、思い当たる節がそれしかないんです」
「それはわかるけど、あなたに憑いているものに邪念を感じないのよ」
「えっ? 私は恨まれても仕方のない母親なんですよ」
「それでも悪意は感じない。不安だったら直接会って確かめてみたら?」
「でも……」
「ためらう気持ちはわかるけど、我が子が自分を呪っているなんて思いたくないでしょ? 我が子の恨みに怯え続けたくないでしょ? だったらはっきりさせなきゃ」
確かにそうです。いつまでもこの気持ちをうやむやにしていては埒があきません。もし、本当に恨んでいるのなら心から謝罪して許してほしいし、それで収まらなければ不幸の連鎖の原因は他にあるということになります。私は意を決して翔太に会うことを決めました。
翔太の思い
「なんですって!」
元夫に電話をし、翔太に会いたいと頼んだところとんでもない答えが返ってきました。翔太が交通事故に遭い、一カ月近く意識不明で入院中とのことだったのです。
「なんで早く教えてくれなかったのよ」
「おまえは翔太を捨てただろ! 他人に教える義理はない」
「それでも私が母親であることに変わりはないよ」
「今さら母親面するな!」
返す言葉がありませんでした……。でも、このまま諦めるわけにもいきません。意識不明の重体ということは、生きるか死ぬかの境目ということです。こうなったら呪いの真相を確かめるなんてどうでもいい……まだ息があるうちに温かい翔太を抱きしめたい! その衝動で居ても立ってもいられなくなり病院へ駆けつけました。
人工呼吸器をつけたまま眠り続けている翔太。久しぶりに見たその顔はまたひとつ成長を感じさせるものでした。でも、面影は昔のまま……。それを見て涙があふれてきました。
「お願い。もう一度元気な姿を見せて。くそばばぁと言ってもいいから言葉を聞かせて」
翔太の手を取り、泣きながら願いました。
「やっぱりあなたは私の子ども。ごめんね、別れたりして……。忘れようとした私を許して。呪ってるんじゃないかと疑ってごめんね」
握った手からはほのかな温かさが感じられます。この子は生きてる。意識不明でも一生懸命生きようとしてるのが伝わってくる。
「許してくれなくてもいいから……呪ってもいいから目を覚まして……お願い」
それは私の本心。強く握りしめた手から私の思いは通じたでしょうか。反応がなくても伝わったでしょうか。親子だもの、きっと心に届いてるよね。そう願って、ずっと小さな手を握り続けました。
医師から翔太の状態が日々芳しくないと聞き、その日からしばらく元夫の了承を得て病院で付き添うことにしました。
するとその夜、夢を見ました。初めて翔太が出てきました。今まで一度も出てきたことがないのに。
「お母さん……」
「翔ちゃん、お母さんのこと怒ってる?」
こくりと頷く翔太。そりゃそうよね。でも、目は最後に会ったときのまま。憎しみの目つきではありません。
「やっと来てくれたんだね。ずっとお母さんにメッセージを送ってたんだよ」
「どういうこと? ひょっとして家の中のラップ音は翔ちゃんが来てたの?」
そういえば思い当たる節があります。最初に家の中で怪異現象が始まったのは一カ月前でした。それは翔太が交通事故に遭った日と重なります。そのときから翔太は自分の死期を悟り、私を呼んでいたのでしょうか?
コーヒーカップが割れたのも物がなくなったのも、今にして思えば子どもらしいいたずらのひとつです。
「私の体に異変が起きたのも、気づかせるため?」
頷く翔太。
「私のことを憎んでたんじゃないの?」
翔太は首を横に振ります。
「だったらなぜ危険な目に遭わせたの? 二度も死にかかったのよ」
「助けたんだよ」
「えっ?」
意味が分かりませんでした。それ以上、翔太は何も答えなかったからです。しかし、ハッと気づきました。
確かにあのとき、車に轢かれて巻き添えを食ったかもしれないし、それがなくても火災に巻き込まれていたかもしれません。私はそれを二重トラップのように捉えていましたが、火災現場に行かないように、先に転倒させてくれたのではないかと。そうすると「助けた」という言葉もつじつまが合います。ずいぶんと都合のいい解釈だと自分でも思いました。でも、その可能性はなくもありません。
だったら、夫の災難はどうなのでしょう?
「お母さんを助けたの」
「どういうこと?」
これも意味が分かりませんでした。理由を聞いてもさっき同様に何も答えてくれません。そして、まったく別のことを話し出したのです。
「お母さんのこと、好きか嫌いかと言われたら、どっちなのか僕にはわからない。ただ寂しいだけだった。お父さんやお婆ちゃんはいつも優しくしてくれたけど、やっぱりお母さんにあまえたかった」
「そうよね。まだまだあまえたい年頃のときに別れちゃったからね」
翔太の気持ちは痛いほどわかります。
「でも、最後にやっと会えた。会いに来てくれて嬉しかった」
「最後って、何バカなこと言ってるの? 翔ちゃんはまだまだ生きなきゃだめなの! 早く目を覚ましたあなたを抱きしめさせて!」
「もうだめだって自分でわかってるんだ。だから、お母さんが会いに来てくれるまで頑張ったんだよ。だけど、もう無理みたい。そろそろ眠りたい……」
「だめよ。まだ逝っちゃだめ!」
「あ……、今はっきりわかったことがある」
「なに?」
「やっぱり僕、お母さんのこと好きだったみたい」
初めて翔太が笑顔を見せてくれました。
「翔ちゃん……」
涙があふれ出てきました。これが夢だとわかっていても、眠りながら涙があふれているということが自覚できました。
「じゃあね、くそばばぁ」
最後に憎まれ口をたたいて翔太は姿を消しました。やっぱりちょっと怒ってたんだね。
目を覚ますと同時に、翔太の異常を知った医師や看護師が部屋に駆けつけ蘇生処置を始めました。でも、もう翔太は……。
私は壁にへたり込み、とめどなく流れる涙を拭うことなく呆然自失していました。
「翔ちゃん……翔ちゃん……」
心なしか翔太の顔が安堵しているようにも見えます。
「私なんかをずっと待っていてくれてありがとうね」
ただただ感謝の言葉しか出てきませんでした。
翔太の宝物
後日、翔太には再び感謝することが見つかりました。「夫の災難が私を助けることになった」という意味がわかったのです。
夫は反社組織と関わって借金を作っていました。その返済がおぼつかなくなり脅されていたのです。駅の階段で転倒したのもホームから落ちそうになったのも、意図的に背後から押されたためでした。工事現場で物が落ちてきたのもわざとでした。反社の人たちがじわじわと脅しをかけていたのです。呪いのせいではなかったのです。
ただ、交通事故の原因となった胃痛に関しては別みたいでした。これは考えようによっては翔太の警告だったのかもしれません。なぜそう言い切れるのかというと、私は知らないうちに多額の死亡保険をかけられていたことがわかったからです。夫が借金返済のために仕組んだのでした。
ちょうど怪我などの不運に見舞われていることに乗じて、床につまづくものを置いたり、油をこぼしたり、椅子の脚が折れるように細工して、頭を強打させようとしていたのです。朝、気分が悪かったのも寝ているときに変な化学物質をかがされていたからでした。
このままでは夫に殺される? そうならないように翔太は夫から私を守ろうとしてくれたのです。やっぱりこれも都合のいい解釈かもしれませんが、あながち嘘ではないと思っています。
捨てた我が子に救わるなんて……私はなんという母親だったのでしょう。
「ありがとう翔ちゃん」
これしか言葉が見つかりませんでした。
後日、元夫から一枚の写真を手渡されました。まだ翔太が幼い頃の三人の家族写真です。三人ともにこやかな顔をしていて、一番幸せだった頃の写真です。
「これは?」
「翔太の遺品を整理していたときに、ランドセルの中に入っていたのを見つけた。いつも肌身離さずに持ってたんだな」
私だけの写真ではなく、三人が写っている写真を大事にしていたということは、父親と母親がいてこそ嬉しいということの表れなのでしょう。
「ほんとに寂しかったのね。こんな母親をずっと想っていてくれてたのね」
枯れていたと思っていた涙がまたあふれてきました。人目もはばからず声をあげて泣いてしまいました。
「ごめんね翔ちゃん……ありがとう翔ちゃん」
やっぱりこの言葉しか出てきませんでした。それ以外の言葉は見つかりません。
「今度は、私がこの写真をずっと持ってるからね」
写真を胸に抱き翔太に心から誓いました。
「もう離さない。ずっと一緒だよ」
[後記]
親を憎む子どもなどいません。暴力を振るわれてもネグレクトに遭っても、子どもは親を慕います。大人に成長して憎しみを抱くことがあっても、子どもうちはどんな親でも好きなのです。だから、捨てないでください。自分の欲望のために傷つけないでください。
この話は、メッセージ性を強めるために、聞いた話を多少脚色しました。その点はどうかご容赦願います。
尚、霊感占い師のアドバイスは的確だったとのことなので参考にしてください。また、夢のメッセージは侮れません。生霊が現れることがあるからです。とくに亡くなった親族が現れた場合は警告や気づきを教えてくれます。筆者もそういう奇跡体験を何度もしているので、体験者の話を真剣に受け止めたものです。