知性のあるカラス
ヒッチコックの名作『鳥』は、大量の鳥が人を襲う恐怖を描いた作品。それは全くあり得ないことではないなという体験をした。
自宅から直線で100メートル先に国道があるのだが、その中間付近に抜け道的な脇道が並行して通っている。片側一車線の直線道路で、交通量も少ないことから、車はけっこう飛ばしがちだ。私が国道沿いにあるコンビニに行くときは必然とその道路を横断することになる。
ある日のことだった。コンビニへ行こうとマンションのエントランスを出たときに、いつもとは違う雰囲気を感じた。
カァー、カァー!
やたらとカラスの鳴き声が多いのである。集積場の生ゴミを狙うカラスは毎日2~3羽いるので珍しくないが、その日に限ってやたら多くのカラスの声が聞こえるのだ。しかし、姿は見えない。姿がなく、あの不気味な声だけが大量に聞こえるとますます不気味さが増す。
そんな違和感を抱えながら脇道に出たとき、私は異常な光景に出くわした。道路に多数のカラスが降りていたのである。しかも、上空を旋回するものや電線に止まっているものもいる。それらを合わせると膨大な数になる。町内にこれだけのカラスがいたのかと驚かされたほどだ。
それにしてもなぜこれだけのカラスが多数集まっているのだろう? その答えは、一台の車が通り過ぎたときにわかった。
車を避けるため、路上にいたカラスはいっせいに飛び立ったのだが、そこに黒い塊が一つだけ残されていた。
カラスの轢死体だった……。
そのカラスは路上近くで車と衝突し死んだのであろう。そのカラスを悼むため近辺にいた仲間のカラスたちが集まっていたのである。それだけの数が終結すれば50メートル離れたマンションまで聞こえていたのは必然だ。
そして恐ろしいと思ったのは、カラスに仲間意識があり、死を認識できるということだった。鳥などは食欲と繁殖しか興味のない畜生だと思っていたのだが、この光景を見てカラスには知性があるのだとわかった。肉体的弱者である女と子どもを狙うと言われているが、それは偶然ではなく本当に意識しての行動だったのだ。
もし、我々がカラスを虐待しようものなら、集団で復讐される可能性は無くもない。この死んだ仲間を悼む光景を見てつくづく思ったものである。
さて、このままでは死んだカラスが哀れすぎる。次々と車に潰されミンチになっていく姿は忍びない。せめて、道路の端に移動させてやろうと近寄って行ったところ……
「!」
一部のカラスたちが路上に降りてきた。ふと気がつくと私の頭上にも多く飛んでいる。そして……
ガァー、ガァー! ギャー、ギャー!
激しく鳴きだしたのである。しかも、皆こちらに視線を向けている。
「これはヤバいかも」
弔ってやろうという私の意思など知る由もなく、仲間の死体を弄ぼうとしている人間という目で見ていたのである。そこのところは所詮畜生だ。
だが、そんな悠長なことは考えていられない。このままでは本当にヒッチコックの『鳥』のようになってしまう。仕方なく死体の処理は諦めて、そっとその場を離れることにした。
幸い襲われることはなかったが、あのまま同情に身を任せて行動していたら、私は間違いなくカラスの集団に襲われて血だらけになっていただろう。目玉までほじくり出されたりして……そんな光景を思い浮かべると改めてゾッとする。
カラスには知性がある。あの黒い不気味な目はいつも我々人間を監視しているのだと痛感した。くれぐれも奴らをナメてかからないよう気をつけたいものである。
≪お知らせ≫
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