80年~90年代は、少女たちが大好きなホラー漫画雑誌が全盛期を迎えていた。その中で各誌共に評判だったのは「芸能人が語る恐怖体験」。当時の私は現役のアイドル記者ということもあり「芸能人の恐怖体験インタビュー」の仕事を請け負うことになった。そして、編集部に出入りするようになって半年後には、心霊写真鑑定の原稿執筆も任されるようになった。
写真鑑定は読者から送られてきた不可思議な写真を霊能力者が霊視し、その鑑定した内容を原稿にするというもの。私が関わる前は冝保愛子先生が鑑定をしていたというからガチな内容だ。当然ながら、数多くの心霊写真を私も目にしてきた。明らかにこれは違うだろうと思われるものもあれば、理解不能なものもあり、ぞっとさせられるものもあった。
今でも鮮明に覚えている恐ろしい写真は死神がハッキリ写っているものだった。おぼろげではなく、それっぽく見えるというものでもなく、かと言ってインチキ臭い合成でもない。自然に不気味な髑髏が写り込んでいたのである。本当に死神はいるんだと恐怖したし、写真の送り主は無事ではいられないかもと危惧した。また、この仕事を受けている自分はいつか祟られるのではないかと怯えたものである。
今でこそ写真は個人での加工が簡単にできるが、当時はフィルムの時代であり細工は難しく技術が必要だった。それだけに真偽のほどは見た瞬間にほぼ判明する。
送られてきた写真は返却することなく、供養してお焚き上げするというのが原則だった。だが、編集者は皆忙しいので実際にはやっていなかったらしい。そもそも心霊現象を心底信じているわけではなく、仕事として割り切ってやっているからだ。
私自身、怪しい写真の鑑定を依頼したことがある。結果的に大したものではなくボツになったので返却を申し入れた。しかし、編集担当から「ごめん、どっかいっちゃったぁ」のひと言で片づけられ写真を紛失させられたことがある。
私はこの仕事をいい加減にはできなかった。なぜなら霊能力者から真摯に取り組むように忠告を受けていたからだ。そして、原稿を書く時は「常にお守りを身につけるように」と警告も受けていた。そのおかげなのか幸いにも不幸な目には遭わなかったが、そのコーナーを担当した者は様々な霊障に見舞われていたようだ。
編集担当は、いかにも不気味な写真を床に落としてうっかり踏んでしまい、適当にさっさっと靴跡を拭き取っただけで机の上に放置していた。その直後、カッターで指を深く切って大出血。血が止まらないために病院へ行き縫う羽目になってしまった。それから何十年経っても傷跡は残ったままであり、本人は傷を見るたびにあの時の写真を思い出すそうである。
そのコーナーを請け負っていたフリーのデザイナーは何度となく体調を崩すようになり途中でやめてしまった。そして、関わらなくなってから体の不調は収まっていった。
新しいデザイナーも心霊写真をやるたびに気分が悪くなっていた。そこで、私がお守りを身につけるようにアドバイスしたところ、気持ち悪さは収まるようになった。そして、連載が終わるまで仕事を続けることができていた。どうやら自分に霊感があることに気づいていない人は霊障を受けやすいみたいだった。
本物で怖い心霊写真は滅多に送られてこない。だからと言って人気コーナーを休むわけにはいかず、大したことのない写真を載せ続けるわけにもいかない。そこでついにはヤラセに手を出した。
そのヤラセに協力的だったのは外部のフリー編集者。自らの体の一部を使って霊現象が起きているような写真を作っていた。霊を小バカにしていたのでくだらない写真まで作る始末。一番バカバカしかったのは、口の中にゴキブリの霊がいるというもの。ゴキブリのおもちゃを少しいじくり、それを口に入れて撮影していたのだ。
その編集者は舌癌になった。それから5年後、肝臓がんにもなり、まだ40代という若さで亡くなった。編集仲間たちは「酒とタバコが過ぎたんだろうな」と言っていたが、内心「祟られたのかも」と思っていたに違いない。怖くて口にしないだけで。
よほど肝が据わった者か、心霊を信じない者がホラーに携わる時は気をつけなければならない。バカにした気持ちでやらないことを進言する。
ホラーと関わりの多い私だが、怖がりなうえに慎重で、かつ霊障に対して鈍感なので何かあっても気づかないみたいだ。おかげでそれが幸いしている……。
[編集後記]
冝保愛子裏話:たかが少女漫画の鑑定に関わっていたのは有名になる前だった。当時の編集者が言うには、売れっ子有名人になってからは雑誌を降板し見向きもされなくなったという。「あのときは普通のいいおばちゃんだったのになぁ」と述懐する編集者。それまで良心的だったギャラも、有名になってからの鑑定料は10分5万円だったと聞く。それでも確実に当たるので高くはなかったそうだ。