誰もが一度は心霊現象に遭遇したことがあると思う。だが、それは心霊写真っぽいものが撮れたとか、なにか一瞬それっぽいものを見たという程度だろう。オカルト映画に出てくるような、悪魔に取り憑かれた状態の人など見たことがないはず。ところが実在するということを知った。
これから紹介する話は、私が以前に体験取材した実際の出来事である。尚、一部加筆修正および登場人物等は仮名としている。
ある日、契約している出版社から奇妙な体験取材を依頼された。
「気功でなんでも治せるという団体がイベントみたいなものをやるんだけど、体験して記事にしてくれない?」
気功自体には興味があった。以前、電撃ネットワークを取材した時、本当に手のひらから氣を出すメンバーがいたことを知っていたからだ。
「なんか胡散臭いですね。インチキだったら、そのまま真実を書いちゃっていいですか?」
「それが、口コミではすごく評判がいいんだよ。なかなか治らない怪我を抱えた人も行くらしいんだけど、一番多いのは心に闇を持った人たちだというんだ」
「さっき、体験と言ってましたけど、私も気功を受けるんですか? なにも悩みなんかないんですけど」
「山奥にある団体の所有する施設で、1週間合宿して修行をすれば、自然と気功が身につくらしい。それを体験してきてほしいんだ」
嫌だと思った。気功ができるようになれば、それはそれで面白いのだが、山奥での修行など好んでやりたくないからだ。咄嗟に思い浮かんだのが滝行だったし。
「え~! 滝に打たれるとか嫌なんですけど」
「そういう修行じゃないらしいよ。老人や子ども、そして怪我人もいるぐらいだからね。そういう人たちも一緒に治療のための修行をして悩みを払拭するというんだ」
正直、気乗りのしない依頼だった。気功で心の病気が治るなら心療内科なんか必要ないってことになる。山奥なので娯楽はないし、テレビさえもないという。しかも、自分以外は病んでいる人ばかりらしい。そんな環境下で1週間も持つのかと思った。
だが、フリーの身の上なので断るわけにはいかない。私は渋々体験取材の依頼を受けることにした。
そこは近畿にある山で標高は約700メートル。車道が整備されており想像していたような山奥というイメージではない。当日、集まっていたのは私を含めた10人の患者。患者と言っていいものかどうか迷ったが、修験者ではないし研修生とも違う気がするので、あえてこう呼ばせてもらう。
この10人の指導および治療を施すのは45歳の山本気功師。仙人風を予想していたが、見た目が優しく人柄も温和な人だった。私はさっそく山本先生に質問した。
「本当に私みたいな素人でも気功ができるようになるんですか?」
「大丈夫です」
「どうやって悩める人たちを救うんですか?」
「まず、修行により全員が氣を発せられるようになれます。それにより内観療法で、心に闇を抱えている人は自らの力で快復を図れます。中には霊の影響を受けている人もいて、その場合は自分で治癒できるようになります。怪我をしている人には、その箇所を集中してみんなで氣を浴びせることにより治癒が望めます」
患者を見ると、明らかに体の不具合を抱えた人が4人、あとの5人は見た目が普通だったが心に病を抱えていた。
その中で山本先生が注視しているのは、左足を引きずっている平松さんという50歳の主婦だという。
平松さんは、急に左足の具合が悪くなり、どの病院で調べても原因が分からなかった。そのため治療法も見つからず、ずっと引きずったままでいるという。果たして西洋医学や東洋医学を施しても無駄なものが、氣を当てただけで治るものなのだろうか? 私は懐疑的な気持ちになった。だが、山本先生は淡々とした表情でこう述べた。
「まぁ、見ててくださいよ。原因は彼女が抱えているものにあるんです」
それは霊の仕業とでも言いたいのだろうか。
修行自体は私が危惧したようなハードなものではなかった。早寝早起き、早朝ウォーキング、読経、食事は精進料理のみ、ヨガや座禅をし、笑い合い、水晶風呂に入る。いわゆる精神修行だ。そして1日に3回、朝昼晩と手のひらから氣を出す練習をする。そうすることで気功を習得できるのだという。
え~? こんなことでぇ?……と思った。
正直なところ、3日目までは半信半疑だった。
患者の半分は「自分の手から氣が出ているのが分かる」とか「先生の手から出る氣を感じる」などと言っているが、私には全然その気配がない。
気功の練習中は患者たちに奇妙な言動が見られた。二人一組となって氣を当て合うのだが、体をグルグルと回転させ始める人、泣き始める人、軽い痙攣を起こす人、ぐったりする人など様々だった。
その中で平松さんは、氣を浴びるたびに、なにやらぶつぶつとつぶやいている。その内容は小さくて聞き取れないが、不満を口にしていたのはなんとなく分かった。氣を浴びる前の普通の修行では、人の良さげな温和なおばちゃんというイメージがあるだけに意外だったが……。
4日目のことだった。
氣を浴びている平松さんが、今度は子どもの口調でつぶやき始めたのである。
「あのね、遊園地に行ったの。そしてアイスを食べたの……」
他愛のないことを口にし続けている。子どもの霊でも取り憑いたのか? そんなことを思っていると……
「う~、う~」
目を半目にしながら、今までにない唸り声をあげ始めた。
それを見て、山本先生がすぐに駆け寄り、両手を平松さんにかざして氣を浴びせる。
「うぉ~! うぉ~!」
重い唸り声に変わった。口の端からはよだれが垂れ始めている。やがて、体が少しずつ震え始め、他の人たちが抑えにかかった。私も加わって腕を抑えようとしたのだが、とても女性とは思えない力だった。
平松さんの顔が一瞬こちらを向いた時、半開きの目から漏れる黒目に睨まれてしまった。
……怖かった。
しばらくして平松さんは静かになって正気を取り戻した。
私は山本先生に聞いた。
「先生、これはいったい?」
「出てきたね。もう少しかな」
山本先生は意味深なことを言った。
「先生、これって霊の仕業なんですか?」
山本先生は黙って頷くだけだった。
今度は平松さん本人に聞いてみた。
「平松さん。今、なにが起こったか覚えてます?」
「え? 全然分からない。氣を浴びてるうちに意識がなくなっちゃって……」
その時、今度は別の人たちに異変が起こり始めていた。
今まで氣を浴びるたびにしくしく泣いているだけの若い女性麻生さんが、突然号泣しだしたのである。山本先生は次に麻生さんのもとへと駆け寄った。
さらに、別のところでは健康そうな若者が嘔吐をしている。
いったいなんなんだ? 修行日半ばにしてなにが起ころうとしてるんだ? ふだん平穏な日々を過ごしている私にとって、このような錯乱状態に陥っている人が多く側にいるということは非日常であり、平常心を失わせていた。これからなにが起こるんだろうという不安で背筋が凍った。
5日目の朝の気功の時間。
ますます奇怪な行動をする人が続出した。まず、突然、気を失った人が出てきた。続けて……
「苦しいよ~! 助けて~!」
どこかで誰かが悲鳴をあげている。
「あはははは!」
「おえ~……」
鳴き声、叫び声、怪しい笑い声、嘔吐する音、壁をドンドン叩きつける音が室内に響き渡り、そこはまるで阿鼻叫喚の世界。
山奥の閉ざされた空間の中で集中的に氣を浴びると、このような現象が起きてしまうものなのだろうか?
特に多くの人から聞こえてきたのはげっぷの音だった。あとで教えてもらったのだが、実はこのげっぷは生理現象によるものではなかった。悪い霊が抜けようとしているのだという。
嘔吐に至ってはほぼ抜けた状態らしい。思わず吐しゃ物に目がいった。あの中に霊がいるってこと? そう考えただけで悪寒が走った。
私はとんでもない所に来てしまったのか……。思っていた気功の世界とまったく違う。私はすでに、氣を感じるようとなってやろうという余裕がなくなり、自分から出せるようになってやろうという意欲もなくなっていた。
異常な言動を見せているのは心の病を抱えた人ばかりだ。体の不具合で来ていて、そのような言動を取るのは平松さんだけ。その平松さんはというと、相変わらず子ども口調でぶつぶつ言っている。
「けけけけ……」
時折不気味な子どもの笑い声を漏らしながら、「あのね、あのね、あたしね」と、なにやら口走っている。
その時、いつものようにすすり泣きをしていた麻生さんが「ぎゃぁー!」と絶叫を発した。
「うるさい! 誰? 大きな声を出してるのは!」
いつも勝手な独り言をつぶやいていた平松さんが、初めて外部の声に反応した。
「なによ、なによ。せっかく楽しい夢を見てたのにぃ。みんなもなんか言ってやってよ。いきなり変な声を出されると驚いちゃうわよね。迷惑だわ。そう思うでしょ」
いや、あんたの方が迷惑だよ。というか怖いんですけど。
平松さんの子ども口調は止まらない。
「ご飯にコーヒーをかけたら美味しいんだよ。明日、隕石が落ちてくるから楽しみだね」
言ってることが支離滅裂。そうかと思えば……
「ふとんがふっとんだ~!」
唐突に冗談も言う。このような状況に、誰かが「ぷっ」と笑い声を漏らした。つられて他の人たちも次々と笑い声を漏らし出す。
「誰? 笑ってるのは? ぶつよ」
平松さんだけが怒っている。
そのうち気功の時間が終わった。と同時に大きな笑い声が起きた。それまで我慢していた笑いのエネルギーが一気に発散した感じだ。本当は怖い現象なのに、平松さんには同情すべきことなのに大爆笑してしまった。
もし、平松さんに取り憑いているとしたら、それは子どもの霊なのかもしれない。だとしたら可愛いもんだと思った。
その日の夕方のことだった。
リビングで大騒ぎしている声が聞こえた。何事かと駆けつけてみると、なんと平松さんが走り回っていた。
「みんな見て。足が動くようになったんだよ!」
歩くことさえ困難だったのに、今は平気で走っている。ついさっきまで足を引きずっていたのが嘘のようだ。
「平松さん、なにがあったんですか?」
「お風呂に入ってたら急に寒気が来たんです。熱めのお湯なのにおかしいなと思って立ち上がろうとしたら、すんなり立つことができたんですよ」
「寒気? それってげっぷや嘔吐のように霊が抜けたってことじゃないんですか?」
「そうかも……」
みんなも自分のことのように嬉しさを分かち合った。
だが、山本先生だけは少し違っていた。
「先生、足が治った。みんなの氣を浴びて歩けるようになったよ!」
「うん。良かったね」
そう返事はしたものの目は笑っていない。私は山本先生にそっと聞いてみた。
「歩けるようになったのは、子どもの霊が抜けたってことですよね」
「だといいんですが、ちょっとあっさりしすぎてるのが気になるんです」
慎重すぎるんじゃないのかと思った。
それより衝撃的だったのは、霊障によって足が動かなくなることがあるという事実。それが気功によって快善できるという真実だった。
だが、山本先生の心配は現実のものとなった。
夜の気功の時間が始まった。
平松さんのことがあったので、みんななにかを期待してわくわくしながら氣を浴びていた。
ところが、それは一変する。平松さんがトランス状態から再び独り言をつぶやき始めたからである。今度は子どもの声ではなく、野太い男の声だ。
えっ? 霊は抜けたんじゃなかったの?
やたらげっぷも繰り返してる。ひょっとして霊は一体だけじゃなかったってこと? 今のげっぷは最後の一体を出そうとしてるのか?
山本先生がやって来て氣を当てだした。すると……
「来たな先生」
男の声をした霊が話しかけてきた。
「いくらやっても無駄だよ。だって、この女は居心地がいいからさぁ」
「さっきは光になったんじゃないのかい?」
山本先生は冷静に受け答えをしていた。こういう場面に慣れているのか、こういう事態を想定していたからなのか……。ちなみに「光りになる」とは「成仏する」という意味らしい。
「さっき走らせてやったのは、本人をちょっと喜ばせてあげただけ。単なる気まぐれだよ」
「それは悪趣味だね」
「おまえらがぬか喜びする姿……滑稽だったぜ」
そんな会話を聞いているうちに私はハッと思った。今のこの状況が異常すぎるほどに異常だということに気づいたからだ。
山本先生は普通に霊と会話をしている。女の平松さんからは違和感なく男の声が出ている。これってまるで映画のひとコマみたいではないか。『エクソシスト』で悪魔に取り憑かれた少女と神父が会話しているのと同じだ。
フィクションの世界が今目の前で現実に起こっている。それは私が霊の存在を初めて間近で見た瞬間だった。どうか、私に憑依しないでくれと心底そう願った。
霊はその間も先生や私たちを罵倒し続ける。
「おまえらもさぁ、ここで修行とかしたって無駄無駄! 先生に上手いこと利用されて金だけ取られてるんだぜ。それが分からんなんてマヌケだなぁ」
止まらない罵詈雑言に、私はついに頭に来た。
「てめえ! 勝手なことを!」
その瞬間、山本先生は首を横に振って私を制止した。結局、悔しいけれど霊の一方的な悪口を聞くしかなくなった。
ところが、霊は口調を変えてまったく逆のことも言ってきた。
「ねぇ、先生さぁ。この女は走れて本当に喜んでたよ。あの嬉しい気持ちのまま家に帰らせてあげてよ」
まるで平松さんを思いやり、自分を光の世界に導いてくれるように頼んでくる。なんて身勝手な奴だ。ますます怒りが湧いてきたが、黙って聞き流すしかなかった。
そうして5日目の夜は終わった。
翌日、私は平松さんに昨晩のことを聞いた。
「それが全然覚えてないのよ。それに朝起きたら、また足が動かなくなってるし……」
私は山本先生にも質問した。
「霊は先生と会話する時、かなり暴言を吐いたり勝手なことを言ってましたよね。でも、先生は必要最低限の返事だけをして、ほとんど相手をしてませんでした。ましてや、私が怒鳴り返そうとしたら止めましたよね。なぜですか?」
「霊は私たちを弄ぼうとしてるんです。話し相手を探してるだけだから、挑発に乗ってはいけません。例え説得しようとして言い返しても相手の思う壺。話の通じる相手ではありませんから。結局は話が元に戻って堂々巡りになるだけなんです」
私は唸るだけで、言葉が出なかった。
聞くところによると以前、私のように頭に来た人がいて、霊に怒鳴ったところ、ただの話し相手を延々とさせられたというのだ。その罠に気づいて途中から無言を通したところ、霊はこう言ったのである。
「あんたはあと5秒後にくしゃみをするよ」
実際その人は5秒後にくしゃみをした。予言が当たり、その人は戦慄した。さらに霊は予言を続ける。
「2年後に交通事故で死ぬよ」
その人は絶句した。未来を当てることのできる霊に、事故死を予言されたからだ。それからは毎日がおどおどした生活になり、廃人寸前までになったという。
結局その予言は外れたのだが、霊にしてみればそれは予言ではなく、その人の人生を弄んだだけだったのである。
鳥肌が立った……。だから霊と気軽に話をしてはいけなかったのだ。
ついに最終日を迎えた。
残念ながら、修業期間中に平松さんから霊が抜けることはなかった。だが、原因ははっきりした。現代医療でも解明できない奇病は、気功で救えることができると知った。
しつこい霊との戦いはまだまだ時間がかかりそうだ。私は今、山本先生と平松さんからの吉報を待ち続けているが、きっと快善できるものと信じている。
[編集後記]
ちなみに私も氣が出るようになっていた。しかし、俗世間に戻り、肉を食べたり修行を続けなかったことで出なくなってしまった。