<発達障害に関わる出来事>
2022年5月、滋賀県の小学校で担任教諭が小2男児にいじめ行為をしたという出来事があった。50代のベテラン教師が、授業中に不適切な発言を繰り返す児童に対し、発達障害だと判断してスルーしたり、それを同級生たちにも同調させたというもの。
一般のニュース記事では、一方的に教諭が悪いと報じている。確かに教育者としてはふさわしくない行為だった。本当に性格の悪い教師なら、今回の件は責められて当然だと思う。だが、果たしてベテランの教諭がそんなことをするのだろうか? もし、良い先生だった場合、そこまで追い詰めたものは何だったのかということになる。
被害児童がどれほどのことをしたのかは一切報じられていない。いや、何かに忖度して報じないのだ。だから、真実が分からない。良くない出来事ではあるが、なぜそうなったのかを我々は知りたいし、知る必要がある。
<親の苦悩と教育現場の困難>
発達障害の子どもが起こす行為は、普通の子どもを持つ親には理解できないほど神経を消耗する。実親はもちろんのこと、預かる立場の保育園・幼稚園・小学校の教諭も同様だ。
集団行動から逸脱する独特な動きは、直接関わったことのない人には絶対わからない。
実親は常にイライラ・苦悩・心配・苦労を抱えて生活している。家庭内で一緒に居るときは怒ることもできず(怒っても通じないため)いつも苛立ちを抱えており、外部に預けていても「何かをしでかすのではないか?」「先生に迷惑をかけていないか?」等の心配をいつもしている。しかし、生活面では可愛らしい一面も見せてくれるし、いつか普通になるだろうという期待もあるし、何よりも実子なので見捨てるわけにもいかず現実と向き合って生きて行かなければならない。
教諭は教育者として接しなければいけないという使命感はあるものの、所詮は他人の子であり、他の子どもたちの面倒も見なければならないので気苦労が絶えない。たった一人のせいで何十人もの子どもに気が回らなくなる。そんな教諭の気持ちは、発達障害児に関りのない人たちには永遠にわからない。マニュアル本で教えたところでどうにかなる問題ではない。厳しい現実は実際の現場を体験しないことには決して理解できない。机上の理想論などほとんど役に立ちはしない。
現在、縁あって保育園の業務に関わっているが、やはり毎年発達障害と思われる子どもたちを目撃する。明らかに行動が他の子と違う場合は若い保育士にもわかるが、その兆候がわずかに出ている場合はなかなか気づかれない。
だが、それは仕方のないこと。園にはアレルギーのある子、体に障害のある子、心身の発育が遅れ気味の子、暴れん坊、いつまでも経っても会話ができない子、時にはダウン症などの先天性疾患の子などがおり、小さなことには構っていられない(気にしていられない)のが実情だ。
<教育現場の本音とすがる親の心情>
親友夫婦にできた子どもがすぐにADHDと診断された。その夫婦の苦悩を目の当たりにしてきたが、やつれていく一方の夫婦を見て同情したものだ。
幼稚園からは問題のある子は受け入れられないと入園を断られた。やっと受け入れてくれた保育園の入園式では一人床の上でゴロゴロと転げ回ってひんしゅくを買っていた。運動会では集団演技から一人離脱して勝手な行動を取ったり、誰もいないトラックの真ん中に行きいきなり放尿をした。卒園間近まで満足に言葉を喋れなかった。小学校に入学しても異常行動は変わらなかった。
担任は立場上見守るような姿勢を取り教育者らしい擁護する発言もするが、内心イライラしムカついていたことは否めない。
おそらく滋賀県の教諭も同じような状況だったのではないかと思われる。熱心な教育者だったのか単なる欠陥教諭だったのかは分からない。どちらにしても、溜まりに溜まったイライラが大人げない行動として爆発したと考えられる。
変な例えになるが、安倍元首相を殺害した加害者に対して「人殺しは責められるべきことだが、追い詰められた気持ちはわかる」という意見と似たところがあるのかも。
保育の現場も同じだ。保育士の中でも身内に発達障害の子どもがいればすぐに気づくのだろうが、そういう人はなかなかいない。発達障害の子どもの面倒は熱心に見るし一生懸命指導もしている。
だが、プライベートな状況になると「あの子は面倒くさい」「土曜保育もあの子がいなければ楽なのに」「何度言ってもわからないからイライラする」「あの子が入園してから忙しくなった」等の愚痴を口走っている。さらにその子が極度のアレルギー反応を持っていようものならば、かなりげんなりするらしい。
ここにもまた、“人間ゆえに思ってしまう仕方のない感情”と“教育する立場にある者”との狭間で苦悩している状況がある。
親は切実だ。自分ではなんともできない部分を教育者である保育士に助けを求めようとする。例えそれが自分よりも若い保育士であってもだ。
業界で定評のある人気保育士のてぃ先生は、“独身で子どももいないのにわかったような口を利くな”と批判されることがあるという。だが、“一人か二人の子どもしか見ていない親と何百人もの様々な子どもを見てきた自分とでは比較にならない”と反論する。まさにその通りだ。
そういうこともあって、親は保育士に相談をする。結局は何の解決にもつながらないのだが、親は藁にもすがる思いなのだ。若い保育士がダメならと園長先生に相談する場合もある。熱心に対応してくれる園長もいれば、親のしつこさで業務が滞り居留守を使って避ける場合もある。親の気持ちも分かるし、園の立場も分かる……。
<まずは真実を知りたい>
そんな両者の立場が分かるからこそ、滋賀県の出来事について加害責任を一方的に押しつけることには賛同しかねる。報道するときはもっと問題を掘り下げて客観的な立場から意見を述べるべきだ。
今回の件で一番知りたいのは、教諭が仕方なく追い詰められた人なのか、元々教育者として欠陥のあった人なのか、どうしてそういう状況を生み出す判断をしてしまったのかという点。人づてではなく直接会って聞きたいものだ。
偏った報道ではなく現場の真実を知らなければ、発達障害に関わる現況は理解してもらえないし解決にも至らない。
近年、顕著となってきた発達障害に関わる問題。文部科学省が2020年度に全国の国公私立の小中高等学校の通常学級に通っている発達障害を持つ児童・生徒についての調査結果を発表したところ、他の教室で特別な指導を受けている児童・生徒は16万4693人もおり、その数は年々増加傾向にあるという。
命にかかわるような病気ではないからと悠長に構えている暇はない。教育現場に携わる教諭と悩める親を救済するためにも、国は一刻も早く対策をとるべきである。
[編集後記]
先の夫婦の子どもは中学時代まで問題行動があったが、作文が新聞に取り上げられたり、高校では生徒会長を務めるまでに成長していった。このように、いずれなんとかなる場合もあるだろうが、ならない場合のほうが多いかもしれない。国はこの点も追跡調査しデータ化すべきだ。