今は昔のスキー物語 |  ライター稼業オフレコトーク

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アイドル記者を皮切りに、心霊関連、医療関連、サプリ関連、
コスメ関連、学校関連、アダルト関連、体験取材など様々な
分野の取材執筆をしてきました。
ここでは当時の面白かった話や貴重な情報、取材で思ったこと、
記事にできなかった裏話などを披露していきます。

 前回の流れがあって、つい『私をスキーに連れてって』を観てしまった。なんか、懐かしくて涙が出てきた。と言っても、映画に感動しての涙ではなく、当時の自分を思い出したからだ。

 

 ちょうどスキーブームの真っ最中で、毎週スキーに熱中していたあの頃。何もかも楽し

くて、何やるにも情熱的に動いていた自分…。東京から湯沢を目指して早朝4時に車で飛び出し、関越トンネルの出口で吹雪く中をチェーン装着。一日がっつり滑って帰宅するのが夜中の2時。睡眠時間もそこそこに朝7時には仕事に出かけるという行動パターン。

 これが全然苦にならなかったし、体力も気力も充実していた。いつも仲間たちとワイワイ騒いでいた。映画とまったく同じように。

 

 なのに今はどうだ…。体力も気力も消え失せている。これが年を取るということか…。当事の仲間とも家族を持ってからは会う機会さえない。だから、一緒に遊ぶこともない。

 楽しかった出来事を懐古し、悩みなんてなかった若い頃を思い出すと、ついつい目が潤んでしまうのだ。

「もう一度、あの頃に戻りたい」…そう思った時、おじさん感傷に浸る自分を情けなく思ってしまう。

 

 

 映画にあったシーンはもう見かけなくなったなぁ

・ペアリフトでは、わざと知らない女のコの横に座って声を掛けるというのが暗黙のルール。しかし、今は高速運転なのであっという間に着くし、8人乗りなんてのもある。今となってはスイスイ行けるので便利だと思うが、当時だったら「余計なものを!」と怒っていたはず。

・ウエアのポケットには紙とペンが用意してあった。携帯電話がなかったので、それが知り合った相手との唯一の連絡手段。映画の中で、三上博史が原田知世に偽番号を教えられたが、あんなことは当たり前だった。でも、それがまた面白かったのだ。騙すも騙される…。

 

・ムカデは大勢の仲間で行った時は、必ず一度はやる定番中の定番。くだらないとは分かっているが、そのくだらなさを共有することが楽しかった。しかし、スノボではあの感覚を味わえない。

 

・スキーウエアは女のコを3倍綺麗に見せる。派手が許される世界なので皆キラキラとしたウエアで華やかに見えて魅力的だった(注:ゴーグルを外すまでは…)。しかし、スノボのウエアはそうもいかない。5年前に『アド街ック天国』で越後湯沢をやった時、何人もの女性が出てくる「〇〇コレクション」はスノボウエアばかりだった。…華やかさがなくてがっかりした…。

 

 

・車のタイヤは、今やほとんどがスタッドレス。チェーンの装着は面倒臭かったけど、当時の女のコ達は車内でぬくぬくと男達の作業姿を見ていたものだ。男は逞しさを見せようと寒さをこらえながら頑張って働く自分をアピールしていた。

 この時、車の所有者はチェーン装着作業をするが、作業をしない連れの男も車外に出て待っていなければいけないという、これまた暗黙のルールがあった。手伝わなくても、「俺も寒さに耐えているんだ」ということをアピールしたかったからだ。

 しかし、女のコ達にこの見栄っ張りの気持ちが伝わることはなく、この時とばかり「あ~、女で良かったわ」とエアコンの効いた車内でポッキーを頬張っているのである。

 …これぞ昭和のチェーン着脱場のよくある光景であった。

 

 

・車を買う時は、必ずスキーを意識して、FFか4WDを買っていたものだ。しかし、4WDは燃費が悪くて参った参った。それに、スリップする時は、どうあがいたって滑ってしまうもんだし。

 …今となっては皆楽しい思い出だ。

 

 

 さて、いつまでも若い時の思い出を懐古しても始まらない。いい大人になった今それに見合った楽しみを見出して生きていくしかないのだ。身の丈に合った行動でね。酒におぼれてグズグズした生き方だけはしたくない。健康にビクビクもしたくない。そこまでいったら、オヤジではなくジジイになってしまう

 

 あ…映画の中身ですか? とりとめのないストーリーだよね。なヒットしたのか分かないけど、ただのワイワイ感が観ている者をなんとなく同調させたのかな。そんなものが受ける楽しい時代だったのだ80年代ってのは

 

[編集後記]

 毎年スキーに行くようにしており、先週もメジャーな志賀高原スキー場に行ったのだがリフトに乗っている時は風の音しか聞こえなかった。以前は、どこへ行ってもユーミンか広瀬香美が流れていたのに…そこは寂しい。