毎年受けている人間ドック。
これまでは仕事の一部、年中行事のような感覚で、それほど身構えることもありませんでした。
ところが前回の人間ドックは、少し気持ちが違っていました。
というのも、一昨年、バリウムではなく胃カメラ検査を選んだところ、胃の下部に小さな腫瘍が見つかったのです。
「心配するほどのものではありませんが、一応消化器内科で診てもらってください」
医師のそんな言葉に、どこか「大丈夫だろう」と高を括っていた部分があったのかもしれません。
そして迎えた、1年後の人間ドック。
「昨年と比べると、少し大きくなっているかもしれませんね。
念のため、専門の先生に紹介状を書きますので、検査を受けてください」
画像を見ても、自分ではよくわからない。
でも、たしかに「言われてみれば少し大きくなっているような気もする」
驚きはありましたが、どこかで「大丈夫、大したことじゃない」と自分に言い聞かせていました。
それでも、「念のため」という言葉が妙に心にひっかかったのです。
そして今年、大型病院の消化器内科の専門医に診てもらうことにしました。
紹介先の先生は、画像を見てこう言いました。
「見たところ悪性とは思えません。でも念のため、CT検査をしておきましょう」
“念のため”
―不安をあおらないための言葉のようで、見逃しを防ぐための言葉。
そして、何より“安心を得るため”の言葉なのかもしれません。
60歳を過ぎた今、「何もない」が当たり前ではなく、「何かあってもおかしくない」のが当たり前。
だからこそ、“念のため”をきちんと受け止めるべき時なのかもしれないと思う様にしました。
CT検査を受けてから数日後の再受診の日。
「CT検査だけでは悪性か良性か判断が難しい状況です。念のため超音波内視鏡検査をしましょう」と医師からの言葉。
またしても念のため。
念のためって何のためなんだろう。。。
そしてこの春、私は生まれて初めて検査入院を経験することとなりました。
検査入院の日々
病院の空気というのは、どこか独特です。
診察棟と入院棟、その空気感の違いは明らかでした。
点滴を引きずるように歩く人、ストレッチャーで運ばれていく人、心配そうに寄り添うご家族…。
それぞれの時間が静かに、でも重く流れています。
案内されたのは4人部屋。
そこが、これから3泊4日を過ごす自分の「部屋」です。
初日は簡単な検査だけで時間はたっぷりありました。
昼食のネギ味噌味の白身魚が意外にもおいしくて、病院食の印象が少し変わりました。
部屋のカーテン越しに聞こえてくる会話が、心に残ります。
「妻が認知症でね…」
「子どもが施設探してるんだけど空きがなくて」
「俺も介護が必要なのに、どうしたらいいんだろう」
認知症、介護、ケアマネ、施設、ベッドのレンタル....
どれもまだ先の話だと思っていた言葉が、急に身近に感じられました。
「まだ先」ではなく「もしかしたら明日かもしれない」と。
検査当日、私は点滴を繋いだまま措置室へ歩いていきました。
最初にお世話になった先生が話しかけてくれたことに、少し安心したのを覚えています。
ベッドに横になると、点滴で眠くなる薬が入れられ、あっという間に意識が遠のいていきました。
気づいたときにはもう病室のベッドの上でした。
数時間は経っていたでしょうか。まずは“ちゃんと目が覚めた‘’ことにホッとしました。
その後は、栄養剤と抗生物質の点滴が翌朝6時まで続き、食事も昼食までおあずけでした。
お昼に出てきた麻婆茄子には驚きです。
もちろん辛みは控えめでしたが、やけに美味しく感じたのです。
午後、先生から「出血もなく、組織は問題なく採取できました。
あとは来月の結果を待ちましょう。
退院後は食事やアルコール、運動の制限も一切ありません」
との言葉。
その瞬間肩の力がすっと抜けていくのを感じました。
すぐに妻に連絡して、安心を分かち合いました。
支えてくれる人の存在
それでも、検査結果を待つ時間というのは、思いのほか長く感じるものです。
遠く大阪で一人暮らしをしている母には、検査入院のことは黙っているつもりでした。
もう高齢ですし、余計な心配をかけたくなかった。
でも、なんとなく勘づかれてしまって、電話で話しました。
「大丈夫だよ。人間ドックの後の検査だから、心配しないで」
本当は、まだ結果が出ていないのに。
でも母は、私の声を直接聞けて安心したようでした。
その時、改めて思いました。
誰かが私を支えてくれていること。
私は誰かを支えていること。
人と人は支え支えあっていること。
お互いを想いやること。
それは、とても自然で、とても大切なことなんだと。
検査入院を終えて
検査結果を聞きに病院を訪れた日。
待合室で長い時間を過ごしました。
担当医の口から「良性です」と告げられたとき、
正直ホッとしました。
でもその後すぐに続いた言葉は
「今後は半年から1年毎に経過観察を続けましょう」
それを聞いた瞬間、
完全に解放されたわけではない、
そんな複雑な気持ちが残りました。
“良性”という言葉に安堵しながらも、どこか心の奥では「今回はセーフだったけど、次は…?」という小さな不安。
それでも今は、
「気づけてよかった」
「ここで一度検査してよかった」
そして「取り敢えず、何もなくてよかった」
そんな気持ちの方が大きくなっています。
紹介状を持って初めて消化器内科専門医を受診し、検査入院を経て、良性の診断がでるまでの2ケ月。
長かった様な短かった様な時間です。
そして、家族の存在のありがたさをあらためて深く認識した時間でした。
「何かあったときに、頼れる人がいる」
「心の中の不安を言葉にできる人がいる」
「黙って不安を聴いてくれる人がいる」
これほど心強いことはありません。
同時に、自分の身体とどう付き合っていくか、これからの時間をどう生きていくかを考えるきっかけにもなりました。
医師から「経過観察」と言われたとき、
「これからも健康に生きていくための贈り物」なんだと受け止めることにしました。
健康って当たり前のことだと思っていました。
でも、こうして検査結果に向き合い、自分の身体に向き合ったことが、これからの生き方にとって大切なことだと感じています。
自分の身体に向き合うこと、自分の今に向き合うこと、自分のこれからに向き合うこと、そして自分と家族に向き合うこと、
そして、そして。。。
これを読んでくださっている皆さまへ
「検査は怖い」
「面倒だ」
「何もなければ行かなくていい」
「自分は大丈夫」
と思っている人がいるかもしれません。
私もそうでした。
でも、私は思います。先送りにしても自分にも家族にも良いことは何一つもなかった。動いて良かった。
今、そう心から思っています。
飲み会の席とかで
「私はどこどこを手術した」
「私は薬をのんでいる」
って病気自慢大会がありますよね。
でもそんな自慢はしたくないし、聞きたくないなー。
自慢するなら健康自慢が一番です。
異常なしがゴールじゃない。
還暦も過ぎると身体に色んな変化があって当たり前。
だから”ガタがきているかもしれない”けど自分の身体を愛したい。
次の人間ドックのとき、「変わりありませんね」との医師の言葉を笑って聞けるように。
そして、自分らしく元気に毎日を耕せるように。
ながながと失礼致しました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
