見事な甘柿がキノコの師匠からどっさり届いた。画像はその一部だが、さっそく皮を剝いて食べたらその甘いこと甘いこと。

 といっても、わが家には立派な甘柿の木が2本もある。しかし、毎年2本とも5~6個くらいしか食べられないのだ。老木には違いないが、ヘタ虫のために実がなってもポロポロ落ちてしまうし、常連のカラス軍団が待ってましたとばかり食らいつくので、なかなか口には入らないのだ。それへの対策や肥料を怠ったとか、陽当たりが悪い場所にあると言われればそれは間違いではない。

 

  

 だもんで、それを師匠に泣きついたところすぐさま甘柿の宅急便が届いた。東北では熊対策で柿の木を伐採するという事態だというのに誠に能天気な次第である。

 この味を長く楽しむために、和宮様はさっそく柿チップスを作り始めた。甘柿をスライスして簡易乾燥機でパリパリにしていくが、ついついそばにいる手が伸びて試食を口実に食べ過ぎてしまう。それもそのはず、甘柿なんだからね。つまりいつ食べても甘いのは変わらない。そりゃそうだ。とくに半なま状態のチップは高齢者には歯にやさしい。そりゃそうだ。

 

  

 何を隠そう、その一週間前のことだった。大好きな柿を食べられない悲しみに落ち込んでいた日々が続いていた。そういえば、同じ集落の何か所には渋柿がいっぱいあることがわかった。そこで気を取り直して、まずは一番近くの渋柿は、「筆柿」または甲州百目の「蜂屋」という品種らしいこともわかってきた。ただし、そこは空き家で不在地主状態だったが、その知り合いの了解を得て収穫させてもらった。

 

  

 陽が当たらないわが家の軒下では干し柿にするのは難しい。それで、物干しに渋柿を吊るして毎朝竿ごと陽なたに運搬することにする。和宮様も毎日渋柿に焼酎を塗ってカビ対策に余念がない。先日、黒くなってきた干し柿を試食してみたが、唸ってしまうほどの甘さだった。添加物を使っていないのに渋さを甘さに変えてしまう先人たちの執念に舌を巻いてしまう。

 

 こうして、わが生活全般は貧乏で質素そのものだが、甘柿も渋柿も共生している自然の恵みに感動する暮らしを送れること、そういうシンプルライフこそ今大切なのではないだろうか、と居直ってみる。すると、テレビでこれでもかと放映される都会の贅を駆使した高級な食事が空虚に見えてくる。マスコミも視聴率ばかりの受け狙いではなく、質素でも健康で滋味ある食生活のあり方を問うべきではないか。危機感を忘れた能天気なマスコミの責任は大きい。この物価高だからこそ工夫できる暮らしにもっと寄り添うべきではないか、と。