5月の連休が来ている。しかしこのところ、連休も日曜祝日も関係ない暮らしが続いている。動物を飼っているわけでもないが、農作業に追われているだけでもある。といっても、野菜やコメ作りというより、害獣柵補修や手に余るガーデンの草木の植栽や雑草対策、それに病院通いにかまけているために過ぎない。

 

    超高齢者になったためか、動作が緩慢になったのは否めず、一日の労働時間は半減。つまり、忙しいのには違いないがサラリーマンでもないので精神的には緩慢で、そのボケぐわいが心地よい。

 

 

 そんなとき、先達の作家・高尾五郎さんの『三百年かけて世界を転覆させる日記・第2巻』(草の葉ライブラリー)が送られてきた。内容は、音楽・演劇・絵画・文学・教育・福祉・災害・出版・地域づくりなど広範囲にわたるエッセイや五郎氏の関心あるクリエーターの知見を紹介している。

 

 タイトルは挑発的だけど、中身はいわゆる白樺派を彷彿とさせるヒューマンなものだった。厚さ2cm、309ページにわたるずっしりした冊子だった。そこにも、80歳代になっても衰えない氏の心意気が見て取れる。

 

 

 五郎氏は、先日亡くなった俳優・仲代達也の生きざまに惹かれ、何回も能登演劇堂を訪問している。本書の日記にも、被災した能登の復興として、演劇による町づくりを提起している。

 

「演劇は人々の精神を屹立させていく魂の道具であり、その魂の道具によって、前方に立ち塞がる闇を切り開いていく勇気や活力を、人々を取り戻していくにちがいないのだ」と。

 さらに、仲代達也の娘の奈緒さんの「父を応援してくださった皆様へ」という詩のようなメッセージを感動的に掲載している。(YouTubeには本人の声あり) 

 

   

 そういえば、わが師匠がかかわっていた医工連携文化雑誌『知遊』(2018年廃刊、30号)には、仲代達矢も編集に参画していたのを思い出した。俳優業だけでなく先進的な文化にも関心を持っていたのがわかる。

 

 

    五郎氏は有名人だけを取り上げていないところにも、繊細で謙虚なまなざしが絶え間なく本書を貫流している。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の友情には、賢治のたった一人の親友との慟哭の決別が伏線にあったと発表(1994年)した研究者の「菅原千恵子」さん(2010年逝去)を紹介している。

 そして、その丹念な研究の成果を絶賛するとともに、菅原さんとの交流も始めていた。

 

 

 ずいぶん昔、五郎氏に誘われ長野の山奥や安曇野などに何回か遊びに行ったことがあった。安曇野が全国的に注目され、ちょっとしたレストランや小さな美術館が点在し始めていたころでもあった。

 

 そのころすでに、五郎氏はその山奥で力作を執筆したり、地元のアーティストたちや理論社創立の小宮山量平さん灰谷健次郎や倉本聰などの書籍出版)との交流を重ねていた時だった。その後、オイラが原田奈翁雄(ナオオ)さんと初めて出会ったのもそのころだった。

 

 原田さんは、筑摩書房や径(コミチ)書房で、雑誌『展望』や『人間として』の名編集長として有名であったことを後で知った。オイラの黒髪が邪魔な頃、径書房のヒューマンな本はときどき買って感銘を受けていただけに、原田さんとの出会いは緊張したものだった。

 

 

 本書では、原田さんが出版社を勇退してからも、『ふたりから』『ひとりから』という雑誌を細々と個人出版し、「生涯編集長」を貫いている奮闘ぶりを紹介している。それは、売れるための出版に抗して、時代への警鐘を静かに乱打しているジャーナリストの使命感を肉体化した姿だった。

 

  

 しかしながら、現実はポピュリズム全盛の時代=世界=日本となり、メンドクサイことはポイにして、目の前の楽しいこと、おいしいこと、 少しの稼ぎの獲得に神経を注ぎ、自分ファーストを優先する風潮がフツーとなってしまった。

 

 だから、地味で小さなミュージアムはどんどん閉館に追いまくられ、安曇野も煌びやかで安直な原宿へと化してしまった。五郎氏の暗然たる絶望がエスカレーターに乗って迷宮へと落とされていく。

 

 

 しかしながら、何度も絶望を経験すると、その絶望の先に一本の灯が見えてくることがある。それが、300年かけて世界を転覆する鍵だ。そこには、ホッとできる仲間があり、心温まる食材があり、文化を創造する共同作業があり、次の世代を引き継ぐ子どもが走り、生きる喜びを増幅する空間と自然が待っている。それはふだんから探そうと模索していないと、たどり着けない世界でもある。

 

 

    だから、原田さんが提起した「ひとりから」の「灯」から、希望の流れが始まる。このつらいような現実の中で、自分は何から始められのだろうか、と。

 神や仏の共存する日本の宗教は世界的に見ても珍しい。その理由について、山中伸弥とタモリの番組で、人間の力では及ばない自然災害(火山・地震・水害)の恐ろしさを数万年かけて経験した日本人のDNAのなかに、その自然との「共存」の意味があることを解いた。そこに、「畏れ」という感情が始まる。

 

 

 それは、評論家・唐木順三のいう自然に対する「<畏れ>(確か中学の教科書に載っていた)という感情」であり、古代の「祟り」の思想があるように思う。悪事をすれば祟られると考えたことによる道徳律は、不当な人事で失脚した菅原道真を「神」にしたし、豪壮なお社寺や仏像さえ創建されていった。

 

 それらをふまえ、今の自分ができること。それを模索することを五郎氏は読者に問う。世界を転覆するようなでかい構想は辛すぎてすぐに破綻するのは目に見えているが、人生を楽しみながら「ひとりから」できること、自分に合った所作から着手することが今の混迷の時代には必要だと思う。

 

 

 「バタフライエフェクト」という困難な歴史を紐解くNHKの優れた番組がある。

 チョウの小さなはばたきは、遠くにも伝播していく「バタフライ効果」という現象があると学者は指摘する。そのわずかな行為が、ひたむきな人間の良心が、時代と人間を変え、新たなムーブメントを起こしていくという。

 

 少数派だった白樺派は文壇や権力の抑圧・閉塞した戦争の時代のなか、芸術を通して時代をこじ開けたいった。

 その意味で300年後、高尾五郎氏は日本のホイットマンと呼ばれているかもしれない。ホイットマンは白樺派の精神的な支柱の一つだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「山ウド」を裏山で収穫する。都会にいる頃は5月連休あたりに埼玉郊外の崖で命がけで収穫するのが恒例だった。その意味で、4月上旬にすでに収穫できるのは地球温暖化のなせる不可抗力なのだろうか。まずは、根っこ近くの白い茎をスライスして味噌をつけて生食する。

 

 山ウド特有の強いミントのような匂いがたまらない。口中に広がるアクの強さは市販の栽培された「軟白ウド」より強烈だ。

 

 

  天ぷら料理の得意な和宮様はさっそく柔らかい山ウドの葉や茎を天ぷらにする。すると、サクサクの食感と香りがたっぷり口中に充満する。生食した時の苦みはマイルドになるのでその苦みが苦手の人は天ぷらが合う。

 ついでに、収穫していた「こごみ」も加わった。

 

 春は山菜を味わうのが地球にやさしい。何しろ、山ウドは日本原産で平安時代から食べられていたという。船や飛行機を使ってわざわざ外国から食材を輸入しなくても,

自前で食べていける国産食材をもっと成長させていくことが大切だ。マスコミもこの視点を持たずに嗜好品をこれでもかと喧伝する。その視聴率ファーストの俗っぽい根性が情けない。

 

    

    さて、うだうだしている間に、山ウドはどんどん大きくなりじっくり味わう間もなく成長しすぎてしまった。いつものことだが山菜の賞味期間はあっという間に過ぎてしまう。根っこの周りに土をかけていなかったので肝心の旨い部分が短いままだった。急峻な斜面なので土がない。土寄せができないのが難点だ。

 

  

 ただし、若い芽がいくつかあるので、それを天ぷらや和え物にすればなんとかまだ間に合う。採りすぎないよういつも数本は残していく。そのため、毎年いただく恩恵に浴することになるが、大きくなると食べるところがなくなる。

 

 それで、「ウドの大木」と揶揄されてしまう。2m以上も高くなり、枝も張るので通行ができなくなるくらいだ。太い茎は空洞だが切れる鎌か鋸で切るしかないが、木材には適さないということから「図体はでかいのに中身がなく、役に立たない」のたとえとされる。

 ウドにとっては不名誉なレッテルだが、ウドは木ではなく草本であるのが忘れるくらい生命力ある迫力の山菜である。

 

    

 

 先週までは植樹に忙しかったが、今度は草とりに追われる。本来の野菜作りが遅れている。その合間に、昆虫たちを発見する。

     梅の木の先っぽのほうに、綿状の巣を発見してドキリ。毒蛾と思ったが、あとで「オビカレハ」(カレハガ科)であるのがわかってまずはホッとする。

 

 メスの成虫が秋に卵を産み越冬すると春に羽化する。そして、幼虫は自ら糸を吐きながら集団で幕を作る。外敵から身を守るというわけだ。昼間は綿のテントで暮らし、夜になると移動して餌の葉を食らう。つまり食害だ。これだけ幼虫がいると、樹木の葉はなくなってしまうぞ。

 

 

 そのうちに、幕から出ていき夏に成虫となる。ちょうど今が意気盛んな時期というわけか。毒はないようなので、明日は駆除しなければならないが、いい気分にはならないね。

 

 

 そういえば、今まで見たことがある幼虫だ。体の先端に黒いサングラスをしてやくざを気取り、背中は帯状のオレンジを貫き全体が青っぽい。この梅もシカに何度も折られ、皮を食べられてきた生き残りの傷病兵だ。これは何とか梅を守りたい。

 

 

 いっぽう、庭の一角で埋もれた枯れ木を持ち上げたところ、その下で、ハサミムシの幼虫が脱皮しているところだった。あっという間に服を脱ぎ捨てたものの、その周りはアリだらけだった。このハサミムシはアリの餌食になってしまうのだろうか。

 

 

 本画像の中央に頭が超でかいアリがいる。これが「大頭蟻」(オオズアリ)と言われる所以だ。「働きアリ」のなかで大型の働きアリがあり、この大きな頭は頭脳ではなく、強力な顎の筋肉だという。つまり、餌を小さく切断するスーパーヒーローだ。まわりに小さい働きアリが餌を探したり、運んだり忙しそうだ。

 

 一時、ニュースになった「ヒアリ」とこの小さな働きアリのオオズアリが似ているが、頭の大きさや色・背中のこぶの状態が違うので、ヒアリではない。

 

 

 きょうの最後に会ったのが、おとなしいゾウムシだった。日中の日差しが強かったので、休憩をしてお茶を飲んでいたら10mmくらいの、背中にコブのある「ゾウムシ」がゆっくりやってきたので、カメラを向けたらそれを察したのかその場で固まってしまった。

 

 しかも、ゾウムシ特有の長い鼻はなく、長いヒゲが特徴だった。ゾウムシにはいっぱい仲間がいるのでなかなか名前の同定ができななかったが、いかつい割にはしおらしいさまがかわゆい。AIで名前を調べたら間違いの連続でまだまだAIは怪しい。

 

 春一番、小さな昆虫にも春がやってきた。外界にはヤマビルが現れ、さっそく洗礼を受けるが、いつも農作業を終えて作業着を脱いでから発見したり、噛まれたりする。家の中ではムカデが出現。家の中に網のテントを張って睡眠するのが安全。春はうれしいが、侮れない季節でもある。

 

  

 柳家小三治の古典落語の魅力をCDでずいぶん聴いてきた.

それ以外に彼のもう一つの「まくら」、つまり「トーク」の魅力も外せない。敗戦直後の食生活にとって卵は貴重なものだったという当時の暮らしぶりの悲哀と感動を活写した「トーク」だけのCDだった。

 それにほだされて、卵かけご飯を急遽食べたくなった。わが家の米飯は玄米と五穀米をブレンドしたものだが、卵の魔力はシンプルにして深みを堪能する夕飯となったのは言うまでもない。

 

 

 そのおかずとして出てきたのが、肉のポークソティーだった。と思ったのがそもそもの間違いだった。箸で突っつくとねばねばして柔らかい。これ、餅じゃあないですかー。でも、いつもの餅と食感が違う。そう、故郷を思い出すような田舎の味を誘うものだった。

 

   

 そういえば、先日、福島から「凍み餅」を取り寄せていたのを思い出した。食べるには、いったん水に半日ほど浸してから焼いていく。「凍み餅」は、飢饉対策の救荒保存食品でもあった。

   

  作り方は、粉末状にしたくず米をつなぎの「オヤマボクチ」などの粉と混ぜて餅にして、それを水に浸けてから軒下の寒気に晒し、1ヶ月くらいかけて乾燥させるというソウルフードだった。

 

  

 ずいぶんむかし食べた記憶があったように思ったが、砂糖醤油をかけて食べてみる。ステーキを食べるように箸で切ろうとするがなかなか切れない。でも、卵かけご飯のように懐かしい味わいを醸し出してくるのは、先人たちの知恵の結晶だからだろう。

 

  

 すると、食欲がますます増進されてきて、先輩からいただいた博多の干物も食べたくなった。それは肉厚の立派なサバだった。ふだんの粗食の反作用のような食べっぷりで、骨もしゃぶりついてしまった旨さだ。近年、牛肉などの肉より魚のほうが高価になってしまっただけに、よけい濃厚な味に思えたのかもしれない。

 

  

 それに、野菜が足りないなーと、茹でてあったコゴミをいつもの醤油マヨネーズで食べていく。シャキシャキして小気味いい食感で春を食べる。ちょっと食べすぎじゃあないかと、消化薬を用意する。

 

 

 勝手にコゴミ畑を形成したコゴミ軍団はとっくに成熟して、収穫時期は終わっていた。歩く空間もなくなってずいぶん踏んずけてしまったが、今年の出来高は過去最高となった。じめじめした日陰の環境にフィットしたようだ。

 

 近くの農家に食べてもらったら「初めて食べました。息子に調理方法を調べてもらいました」というくらい、専業農家でも知られていない。これも、凍み餅と同じく東北の厳しい自然から選び抜かれ、人間の生存をなんとか支えてきた伝統野菜でもある。

 

 海外からのグルメばかりの情報に左右されず、食物の国内自給率を高めなければと思う。牛肉1kg生産するには12~20kgの穀物飼料と4万リットルの水が必要だという(魚柄仁之助『冷蔵庫で食品を腐らす日本人』から)。さらに、海外からの輸送コストや日本の畜産の飼料輸入コストを考えるとなおさらだ。身近な山菜を見直そうではないか。卵かけご飯とともにね。

 

 

  

 裏の畑の山側は「こごみ」畑となった。10年前くらいに植えた2本の苗はいつのまにか40本を超える群落に成長した。山の陰の湿ったダークポイントに居心地が良かったのかもしれない。肥料もほとんどやったことがない。「ぐーたら農法」の優等生だ。


  

 新芽が出たらあっという間にゼンマイ状の若芽が伸びてくる。このタイミングに素早く対応しないと、すぐに食べられなくなる。アクがないので収穫してすぐに塩ゆで1~1.5分ですぐ食べられる。茹ですぎるとシャキシャキの食感が失われる。

 シダ類を食べる民族は世界的にも珍しいという。

 

  

 鮮度が命なので、市場にはなかなかお目にかかれない。わが家では茹でてからもっぱら醤油マヨネーズをかけて食べる。このシンプルさがたまらない。近隣の人は食べたことがないという。収穫期間は一週間のみに限定される。

    春はそれでなくても忙しいのに、毎日のように様子を見ないとチャンスを見逃してしまう。和食の高級料亭ではコゴミは珍重される一品でもある。

 

 

  裏の畑は同時にワラビの天下だった。しばらく放任していた畑について「ワラビ将軍」はこちらの窮状を察してか、春はワラビ軍団を率いて食生活を応援してくれるのだった。おかげで、バケツ一杯のワラビを同じところから何回もお代わりを実現する。まさしく、わが「グータラ農法」のエリート将校でもある。

 

  

 先日、近所の方から「タラの芽が畑の外まわりに出ているよ」と教えてくれた。 忙しくてなかなか見る余裕がなかったが、さっそく収穫を優先した。タラも勝手に生えてきたグータラ軍団の幹部なのだった。確かに、見事な新芽だった。和宮様はそれを察してすばやく天ぷらにしてくれた。タラの芽は天ぷらがよく似合う。

 

 トランプの傲慢な軍事介入による世界の混沌は、この山里には大きな影響はない。トランプにはこの豊かさは貧しさとしか理解できない金満ヤンキーなのだ。人間と自然との共存とがめぐらす今年の春も、穏やかにして豊穣の山菜をもたらしてくれた。山里に感謝、ありがたい。畑に響く鳥の声が、カエルの声が、春を謳歌していた。