こんばんは。

 

今日は、先日、以前お世話になっていた主治医の先生とご飯に行ったことについて書きたいと思います。

 

僕にとって、その先生はとても大きな存在です。

 

起立性調節障害でしんどかった時期。


学校に行けなくなっていた時期。


自分のこれからがどうなるのか、まったく見えなかった時期。

 

そんな頃の自分を知ってくださっている先生です。

 

当時の僕は高校生でした。

高校生で小児科に通うことに、恥ずかしさもありました。周りの同級生は学校に行き、部活をして、進路の話をしている。

 

そんな中で、自分は朝起きることができず、学校にも行けず、小児科に通っている。

その現実をなかなか受け止められず、恥ずかしさや焦りを感じていたのだと思います。

 

それでも、先生はいつも変わらず関わってくださりました。

 

僕はその後、高卒認定を取り、大学に進み、看護師になりました。そして大学を卒業し、社会人になるタイミングで、先生とは一度お別れのような形になりました。

 

当然、それからは接点がありませんでした。

 

ふとした時に、

 

「先生、元気にしているのかな」

 

と思うことはありました。

 

でも、それを知る術はありませんでした。

 

もう会うことはないのかもしれない。


あの頃お世話になった先生は、自分の中の大切な思い出として残っていくのだろう。

そんなふうに思っていました。

 

ところが、思いがけない形でまたご縁がつながりました。

 

コロナの時期、僕はたまたま応援という形で、ある病院に行っていました。そこで出会った先生に、自分自身のこれまでのことを話す機会がありました。

 

起立性調節障害のこと。


高校を中退したこと。


当時お世話になっていた主治医の先生のこと。

 

すると、その先生が、

僕の主治医だった先生のことを知っていたのです。

 

しかも、知り合いだったことがわかりました。

 

本当に驚きました。

 

ずっと接点がなく、もうつながることはないと思っていた先生と、思いがけない形でまたつながることができたのです。

 

まるで映画のような出会いでした。

 

今でも、少し実感がありません。

そして今回、その先生と2回目の食事会に行くことができました。

 

ご飯を食べながら、いろいろなお話をしました。

 

あの頃の自分を知っている先生に、今の自分のことを話せる。

それは、自分にとって、とても不思議で、でもすごく嬉しい時間でした。

 

先生にとっても、当時の僕との関わりは印象に残っていたそうです。

詳しい内容はここでは控えますが、僕との出会いが、先生にとっても一つのきっかけになっていたと知りました。

 

当時の僕は、自分のことで精一杯で、先生にどんなふうに映っていたのかを考える余裕はありませんでした。

 

でも、今回お話をする中で、僕が先生に支えられていたように、先生もまた、僕との関わりの中で何かを感じてくださっていたのだと知りました。

 

それを聞いた時、とても不思議な気持ちになりました。

 

患者として支えてもらっていた自分が、

知らないところで、先生の中にも何かを残していた。

 

人との出会いは、一方通行ではないのだと感じました。

 

今回の食事会では、勇気を出して、

ブログを始めたことも先生に伝えました。

 

自分の経験を書くことには、今でも少し迷いや恥ずかしさがあります。それでも、あの頃の自分と同じように、病気や症状に苦しんでいる人がいるかもしれない。先が見えず、不安の中にいる人がいるかもしれない。

 

先生のように診察をしたり、治療をしたりすることは僕にはできません。

でも、僕なりの方法で、自分の経験や感じたことを言葉にすることで、誰かの心が少しでも軽くなれば嬉しいです。

 

あの頃支えていただいた自分が、今度は自分にできる形で、誰かの支えになれたら。

そんな思いで、これからも少しずつ書いていきたいと思います。

 

そしてこれからは医療者として、起立性調節障害や体位性頻脈症候群についても、もっと深く学んでいきたいと思っています。

 

自分自身が経験したからこそ伝えられることがあります。一方で、経験したからこそ、感覚だけで語るのではなく、医学的な知識や研究の視点も大切にしたいと思っています。

 

大学院を修了した身として、論文なども読みながら、体験だけではなく、少しずつ専門性も深めていきたいです。

 

当時の僕は、本当に先が見えませんでした。

 

学校に行けない。


部活も続けられない。


周りはどんどん前に進んでいるように見える。


自分だけが止まっているように感じる。

 

そんな時間の中にいました。

 

でも、今になって思うのは、止まっているように見えた時間も、決して無駄ではなかったのかもしれないということです。

 

もちろん、当時の自分にそんなことを言っても、簡単には受け入れられなかったと思います。

 

しんどい時は、しんどい。


不安な時は、不安。

 

先が見えない時に、「いつか意味があるよ」と言われても、すぐに前向きになれるわけではありません。

 

それでも、時間が経って、少しずつ歩いてきた今だからこそ思えることがあります。

あの頃の経験があったから、今の自分がある。

あの頃の苦しさがあったから、誰かのしんどさに少しだけ想像を向けられるようになった。

 

あの頃、支えてくださった人がいたから、今度は自分も誰かの支えになりたいと思えるようになった。

 

先生との食事は、ただ懐かしい話をする時間ではありませんでした。あの頃の自分と、今の自分がつながっていることを感じる時間でした。

 

そして、ここまで来られたことを、改めて噛みしめる時間でもありました。人は、しんどい時には、自分の未来をなかなか信じられないことがあります。僕自身もそうでした。でも、今の自分から当時の自分に声をかけられるなら、

 

「焦らなくていい」


「今すぐ何者かになれなくてもいい」


「少しずつでも、ちゃんと進んでいける」

 

そう伝えたいです。

もちろん、きれいごとだけではありません。

 

今でも悩むことはあります。


迷うこともあります。


自分に足りないものを感じることもあります。

それでも、あの頃には想像できなかった今を生きている自分がいます。

 

先生とご飯を食べながら、そのことを改めて感じました。

 

あの頃の自分を知っている人に、今の自分を報告できること。

 

一度途切れたと思っていたご縁が、思いがけない形でまたつながったこと。

 

そして、自分もこれから誰かの力になりたいと思えたこと。

 

それは、とても幸せなことだと思います。

 

僕の記事を読んでくださる方や、フォローしてくださっている方にも、これからの成長を見守っていただけるように。

 

これからも、誠実に、謙虚に、

少しずつ頑張っていきたいと思います。

 

本日も読んでくださり、ありがとうございました。