今日は、起立性調節障害だった当時の僕が、

 

両親との関わりの中で嬉しかったこと少し楽だったこと

について書いてみようと思います。

 

起立性調節障害について、

当事者目線で発信されているものは、まだ多くないように感じます。

 

もちろん、僕の経験がすべての人に当てはまるわけではありません。

 

症状の重さも、家庭環境も、

学校との関係も、子どもの性格も、それぞれ違います。

 

だから、この記事はあくまで、

 

「僕の場合はこうだった」


「当時の僕は、こう関わってもらえると少し楽だった」

 

という一つの体験談として読んでいただけたら嬉しいです。

 

今回は、起立性調節障害だった当時の僕が、

親に対して感じていたことを思い出しながら書いてみます。

 

そっとしてくれることが嬉しかった

 

まず一つ目は、そっとしてくれることです。

学校に行かないといけないことは、自分が一番よく分かっていました。


「また今日も行けなかった」
「明日は行けるかな」

 

そんなことは、誰に言われなくても、頭の中でずっと考えていました。

だからこそ、朝に何度も声をかけられたり、

 

「行かないの?」
「いつになったら行けるの?」

 

と言われることは、

当時の僕にとってはかなりしんどかったと思います。

 

もちろん、今になれば親の気持ちも痛いほど分かります。

 

心配だったと思います。
不安だったと思います。


このまま学校に行けなくなったらどうしようと、

親の方が眠れない夜もあったかもしれません。

 

でも、当時の子ども側の僕からすると、

一番ありがたかったのは、

 

責めずに、急かさずに、そっとしてくれることでした。

 

何も言わないことは、決して放置ではないと思います。

 

信じて、待ってくれている。

 

その空気があるだけで、少し救われることがありました。

 

少し補足すると、干渉するタイプか、干渉しないタイプかで言えば、僕の母親はどちらかというと干渉するタイプだったと思います。

 

すごく教育熱心というわけではありませんでしたが、周りの友達に比べると、少し厳しかったように感じていました。

 

でも、起立性調節障害になったことをきっかけに、

少しずつ関わり方が変わっていったように思います。

 

今振り返ると、両親もきっと、

僕と同じように悩んでいたのだと思います。

 

どう声をかけたらいいのか。
どこまで見守ればいいのか。
どこからが甘やかしになってしまうのか。

 

親なりに、ずっと関わり方を模索してくれていたのだと思います。特に大学生になってからは、大学という環境で自由度が増えたこともあったのかもしれませんが、何かを細かく言われることはほとんどなくなりました。

 

だからこそ、たまに何かを言われると、逆に「しっかりしないと」と袖を正すような気持ちになりました。大学生の頃、母にふと、

 

「地に足つけなさいよ」

 

と言われたことを、今でも思い出します。

 

また、印象的な記憶があります。

家に、自律神経に関する本が置いてあったことです。

 

当時は深く考えていませんでしたが、今思うと、

両親も僕の身体のことを知ろうとしてくれていたのだと思います。

 

理解できないことを、理解しようとしてくれていた。

そのことに、今になって気づくことがあります。

 

今回は、「そっとしてくれること」に焦点を当てて書きました。

もちろん、ただ何もしないことが良いという意味ではありません。

 

必要なときには支える。
でも、責めずに、急かさずに、信じて待つ。

 

その「距離感」が、

 

当時の僕にはとてもありがたかったのだと思います。

 

今後も、当時の僕が親との関わりの中で嬉しかったこと、

少し楽になれたことを、②、③・・・という形で書いていけたらと思っています。

 

同じように悩んでいる方や、ご家族様にとって、少しでも参考になれば嬉しいです。

 

そして、当時の僕に伝えられるなら、こう言ってあげたいです。

 

大丈夫。
人生は、そこで終わらなかったよ*

 

本日もお忙しい中読んでくださり、ありがとうございました。