おはようございます、たけちです。
2024年・令和6年5月4日みどりの日
みなさん、いかがお過ごしになりますか?
たけちはこのGW中に大盆栽祭なるものに行ってみようと思ってます。
日頃触れていない分野に触れてみるのも時にはいいですよね
さて、今日は茨城県の続100名城のひとつ
笠間城について紹介します。
【笠間城大手門跡】
笠間城は山城
築城時期は1219年
築城主は笠間時朝、と言われています。
笠間城の築城由来は少し面白いので紹介します。
もともとこの地域は正福寺(今は坂東33観音の一つですが)と徳蔵寺の勢力争いが盛んでした。そして、劣勢となった正福寺勢が下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めます。
頼綱は自分の甥であった笠間時朝を派兵します。
時朝は徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として佐白山の山麓に城を築き、徳蔵寺を征討する足がかりとします。
しかし、その城の規模がデカすぎた
本来、味方であったはずの正福寺勢の(位置関係からして当然)不審を招き、時朝を裏切ります
そして、結局、時朝は徳蔵寺も正福寺も征討してしまい
改めて堅固な城に改修します。
これが笠間城の始まりだとか。
【石垣跡】
その後笠間氏は18代にわたりこの地を治めます
【八幡台櫓跡】
1590年小田原征伐(関東の城址のターニングポイント)の際、どさくさに紛れて宗家である宇都宮氏に攻められて滅亡
その後、蒲生郷成が入城し、郷成の手により近代城郭に改修されたと考えられています。
【立ち入り禁止区域の天主跡】
1600年関ヶ原(これも日本の城址のターニングポイント)後、笠間城は次々と城主が入れ替わります。そのひとつが浅野氏ですね