おはようございます、たけちです。
2024年・令和6年2月17日土曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?
たけちは今日はゆるゆると過ごします。
来週は日本百名山のひとつに挑戦しようと思っていますのでその準備もしないと。
まぁ、天候次第なんですがね
さて、今日は群馬県の続100名城のひとつ
名胡桃城について紹介します。
【武田流築城術の基本「馬出し」】
名胡桃城は山城
築城時期1492年、築城主は沼田氏
沼田城の支城として築かれたと言われています。
伝承ですがね
【三郭】
史料上では1579年武田勝頼が真田昌幸に命じて、敵対していた北条氏から沼田領を奪取するために、前線基地として築城
その後、真田昌幸はこの名胡桃城を拠点として沼田城を攻略します。
そして、1582年武田氏滅亡後、真田氏と北条氏は沼田・吾妻領をめぐって争いますが、真田氏は北条氏の攻勢を退けます
【二郭南虎口】
1587年豊臣秀吉による大名間の私闘を禁じる
惣無事令が発令されます。
沼田領について1589年名胡桃城を含めた沼田領の3分の1を真田氏に、それ以外の3分の2を北条氏と定められます。
しかし、この裁定にどちらも納得していなかった
【本郭】
同年11月、北条氏は真田氏の名胡桃城代鈴木重則を騙して、名胡桃城を奪取
世にいう「名胡桃城事件」勃発です
昌幸は寄親だった徳川氏を通じて秀吉に北条氏の非を訴えます。
秀吉は北条氏に関係者の引き渡しを北条氏に求めますが、北条氏は拒否
「もともと名胡桃城は北条氏の城なので、そもそも奪う必要もなく、知らないこと」
と嘯く始末
【ささ郭 先に沼田城が見えている(はず)】
ここに完全に秀吉と北条氏は決裂
1590年関東征伐となり、
結果北条氏滅亡
秀吉の天下一統がなるとともに沼田領は完全に
真田氏が領有することになります。
そして、名胡桃城は廃城
名城スタンプと御城印(ヒノキバージョン!)は名胡桃城址案内所でいただけます。
北条氏滅亡のきっかけをつくった名胡桃城
先の言い分だと北条氏が完全に悪いと思いますが、真田昌幸はそんなに大人しい人物でしょうか?
実は真田側からの挑発行為があったのかもしれません。
しかし、この事件で一番漁夫の利を得たのは
天下人となった秀吉です。
史料だけではなんとも言えません。
事実は藪の中ということで・・・