おはようございます、たけちです。
令和5年12月16日土曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?
たけちは今日は
パシフィコ横浜ノース
に行ってきます。
そこで何があるかって?
お城EXPO2023です!
楽しみだなぁ
さて、今日は埼玉県の続100名城のひとつ杉山城について紹介します。
【大手口】
杉山城は山城!
【食い違い虎口】
杉山城は築城時期不明!!
【外郭 帯郭状土塁】
杉山城は築城主不明!!!
以上
【東二・三の郭】
諸説すらほとんどなし
謎の村雨城ならぬ、謎の杉山城
【本郭 北虎口】
多分こうじゃないかな?という説によると・・・
時は戦国時代の初期
古河公方、関東管領山内上杉氏及びその分派扇谷上杉氏の三勢力による関東覇権争い
杉山城は山内上杉氏の拠点鉢形城と扇谷上杉氏の拠点河越城の中間地点にあり、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築城したものと考えられています。
【井戸跡】
杉山城から1488年以降のもの遺物として出土されています。
山内上杉氏、扇谷上杉氏とくればこの男が出てきますよね。
そう、太田道灌
【土橋から土塁へ】
ここからはたけちの妄想です。
道灌が山内上杉氏を攻めるために杉山城の築城をはじめます。1485年、道灌の死後、杉山城完成
しかし、なんだかんだあり
山内上杉氏が杉山城を占拠し、以後、扇谷上杉氏に対抗したのではないか?
まぁ、妄想ですよ
名城スタンプと御城印は、杉山城の入り口にある杉山城保存会で頂きました。
なぜ、道灌築城を妄想するかというと、杉山城が山城としては小規模ながらも、巧妙な縄張や防御の技巧が至るところに施されており、
「築城の教科書」
「戦国期城郭の最高傑作」
と評されているからです。
山内上杉氏にも城郭建築に秀でた武将がいたかもしれませんが、道灌が死ぬ直前にその人生の粋を集めた傑作の城を築城をしたというのも面白いじゃないですか
ええ、もちろん、これは妄想ですよ、そう、妄想・・・・