おはようございます、たけちです。
令和5年1月最後の週末土曜日、みなさん、いかがお過ごしになりますか?
今週の大寒波
たけちは仕事終わって家に帰ると速攻風呂→布団でした![]()
あまりに気温差が大きいと体調を損ねる恐れがあるので、みなさんも体調管理には気をつけてくださいね![]()
さて、今日は
現存天守にして国宝 東の横綱 みんな大好き松本城
について紹介します。
【松本城黒門】
松本城は輪郭式平城、複合連結式層塔型5重6層、板壁を黒塗りにし、土壁が白漆喰、しかも壁面のほぼ10分の7が下見板張りで、全体が黒い感じとなっています(格好良い
)
1504年信濃守護小笠原氏の一族である島立貞永が坂西氏の館跡に城を築き、深志城と称したのが初めてといわれています。
【天守内】
1550年武田信玄がこの城を奪い、城代を置いています。
【阿部信玄】
1582年織田信長の甲州征伐により武田氏滅亡、そして、本能寺の変、信長亡き後徳川、上杉、北条そして真田による旧武田領争奪戦の天正壬午の乱により、徳川家康(またもや
)の支援を受けた小笠原貞慶が旧領を回復し、深志城を拡張して松本城と改称します。
【孤独の数正「腹が減った」】
数正とその跡を継いだ康長により松本城は更に拡張していき、現存の五層六階の天守が完成します![]()
【華頭窓からの風景】
1613年大久保長安事件に石川康長が連座し、改易![]()
再び小笠原氏が入封![]()
大坂の陣以降、戸田家、松平家、堀田家、水野家と目まぐるしく松本城主を変えていきますが、1726年戸田光慈が6万石で入封し、明治維新まで続きます![]()
【松本城保存の功労者】
1872年天守が競売にかけられ、解体の危機![]()
そこを地元の有力者であった市川量造らの尽力により買い戻されて難を逃れます。
市川は、まず破却の延期を申請したうえで、天守を借りて博覧会を開き、それによる収入を活用し天守を買い戻すというなんて賢いやり方![]()
次の危機は1896年ごろ
天守が大きく傾き崩壊の危機![]()
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これを憂えた松本中学(旧制)校長の小林有也らにより「松本天守閣天守保存会」が設立され広く修理費の寄付を募り、1903年から1913年までの明治の大修理が行われ、崩壊の危機を乗り切ります。
その後、GHQの指導により1950年から1955年の解体復元工事(昭和の大修理)を経て、今も戦国時代の当時の面影を保ち、私たちの心躍らせています![]()
スタンプは管理事務所で、御城印及び名城カードは松本城内お土産屋で頂きました。
御城印は戸田家と小笠原家のもの2つ頂いちゃいました![]()
どんだけテンション高いって話ですね。
戦国時代からの勇姿を残すと言われる現存天守は松本城、犬山城、丸岡城と言われていますが、松本城ほどの天守が残っているのは姫路城同様奇跡だと思います。
そして、その奇跡は松本城を残そうとした地元の人々や勇姿、あと日本の文化に造詣が深い外国人
の力で成立しています。
生きている限り何回も行きたい城ですね![]()













