こんにちは、たけちです。
朝夕はだいぶん過ごしやすくなりましたが、まだ昼は30℃近くの暑さの近畿地方
それも今日までらしく、明日からいきなり秋の気温になるとか。そこで気をつけたいのは体調管理ですね。今は咳をするのも憚ますよね
咳をしても一人 尾崎放哉
咳をするなら一人 たけち
・・・・さて、今日は玄蕃尾城を紹介します。
内中尾山城こと玄蕃尾城は山城
玄蕃尾城の築城時期は諸説ありますが、1583年羽柴秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の本陣が置かれた城として有名です。
たけちの愛読書「センゴク一統記」10巻から12巻が賤ヶ岳の戦いの全容が非常に分かりやすく描かれてます。
以下柴田と羽柴の城づくりの違いが明確に分かるところを抜粋させて頂きます
内中尾山城=玄蕃尾城です
【空堀跡】
賤ヶ岳の戦いといえば羽柴秀吉の子飼いの武将が活躍する、所謂、賤ヶ岳の七本槍が有名ですが、当初は、バリケード合戦だったんですね
【東虎口】
敵方から虎口見ても中はよくわかりませんが、虎口の中から敵方は良く見えるんですよね
【虎口跡】
ここには三重天守があったとか
また、主郭部北側の搦手の広場がありますがここに兵糧を集積したみたいです。
スタンプは登り口受付ポストで頂きました
遺構も丁寧に整備され、すごくわかりやすいです登り口まで行くのは結構大変ですが、近世山城の最高水準を見ることができます。
賤ヶ岳の戦いは、羽柴秀吉の勝利に終わり、柴田氏は滅亡してしまいますが、彼の残した玄蕃尾城は柴田勝家が武辺一辺だけでないことを物語ってますね。