1985年8月12日/日航ジャンボ123便墜落 | 岸たけし

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■「1985年8月12日」

あの日は月曜日だった。

母方の実家に千葉から従姉妹が遊びに来ていて、

夏の遅い夕暮れに沿う様に、庭で遊んでいた。

夜7時前?「ジャンボがレーダーから消えたらしい」と、

TVを見ていた叔母達が話していた。

あの時代では珍しい、テロップによる速報だった。

...家で父が待っているので、母と私達兄弟は、

祖母の家を出る。

家に着くと、普段、殆どTVを見ない父が、

ブラウン管テレビにかじりついている。

先程までは、時々TVにテロップが写る程度だったが、

全局バラエティー番組を途中で中断し、

日航機123便が消息を断った事を伝える。

そして、国民的歌手である坂本九さんも

搭乗していたという。

....長野へ墜落?乗客の安否は?....

 

弟が次の日の朝、こんな事を話す。

「昨日の夢で、坂本九さん助かったって、

ニュースやってたよ。九さんが、笑顔で

タラップ降りて手を振ってた...」 

 

現実のニュースが飛び込む!

「長野県ではなく、群馬県に位置する御巣鷹山に墜落。

発見。救助はじまる!」「4名救助!」「懸命な救助、続く!」

ニュース、テロップが鳴りやまない。

しかし、残酷な結末が待ち受けていた。

坂本九さん死亡。

お亡くなりになった方には、大手食品メーカー社長、

阪神球団社長、宝塚女優、TRONプロジェクトメンバーはじめ、

出張帰り、帰省、家族兄弟姉妹....乗務員など、

520名もの尊い命が失われた。

 

私は、飛行機搭乗以外でも常にメモを持つ。

生きた筆跡(あかし)を残す為だ。

正に一寸先は闇だから。

 

1985年8月12日....この日は、奇しくも

グリコ森永事件終焉日であり、翌日は、

三光汽船倒産(戦後最大の倒産)があった。

1ドル240円(プラザ合意前/翌月)

バブル時代夜明け前....時代は加速しながら、

大きく動いて行く。

 

8月は、6日広島原爆、8日満州占領、

9日長崎原爆、15日終戦記念日....と、

悲しい事実が多い。

8月の終わりに、黙祷。