一見、潔い考え方…。でも実はもったいない考え方なのかも?!
all-or-nothingとは
デジタル大辞泉、コトバンクによれば
このような意味だと書かれています。
誰もが平等に与えられた24時間を、
どのように使うのかと考えたときに
この言葉を用いて選択を迫られる場面が
人生には多くあります。
一見かっこいいし、
潔い考え方、生き方だと思いませんか!
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社会人になってすぐの頃から
私はこの考え方で生きてきたように思います。
けれどこの考え方には弱点もあって
「中庸を許さない」という側面もあると
最近気づきました。
またこの考え方に縛られると、
物事の見方が狭まる危険もあるのですよね。
少なくとも私はそうでした。
例えば…。
Aという道を選んだ。
ある程度進んだ。
険しい道だったけれど
歯を食いしばってやり抜いた。
それなりに道を作れた気がする。
ということがあったとしましょう。
Aの道を歩く途中で、
私はBという道にも魅力を感じます。
けれどここでBに行くわけにはいかない。
なぜならばここでBに寄り道したら
Aが中途半端になってしまうからと
思いとどまります。
やがてAでそれなりに
道を作れたように思えた私は
ようやくBに足を踏み入れます。
そのときに
「自分はBに行くと決めたのだから、
もうAのことは他の人に任せる」
とAのことにはふれなくなります。
それは、それでいいのかもしれない。
でも、違う道、考え方もあるよねって。
「今の活動の中心はBだけれども、
かつて活動の中心にしていた
Aだってできますよ。
Aについての要望があれば
どうぞ言ってください。ウエルカム★」
と言ってもいいのではないかと。
たとえは「道」で表しましたけど
人間関係も、所属団体も、同じかもしれない。
カチカチした考えをゆるめて、
もっと柔軟に、縦横に生きられたら
いや、生きていこうと思います。
画像はそんな生き方を教えてくださった団体さんの集合写真です。
私もすみっこにうつっています。
さらに、聞く場のサイト も作りました。
ご縁を大切に。もっと柔軟に、
でも欲張って生きましょうと思います。