「これからのぼくに、できること」ほぼ日刊イトイ新聞より | 福島県在住ライターが綴る あんなこと こんなこと

「これからのぼくに、できること」ほぼ日刊イトイ新聞より

FBで友人がシェアしていたのがきっかけで

読むことになった糸井さんとの対談のお相手は

 

郡山市出身の写真家さんが、

福島第一原発の視察に同行し、

郡山のある場所で講演会(お話会)をやる…

とネットで見つけた、その方でした。

 

余命3年だそうです。

 

5回にわたり書かれているのですが

私の心にきたのは「第四回 やさしさとお手柄主義」

読んでいて「あっ、私もやっていたな」とズキン!

ときたからです。

 

 

以下、糸井さんの言葉を抜粋します。

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みんな、
幡野さんにアドバイスすることで
なにかの「お手柄」を立てたいんです。
あの病院がいいとか、この薬が効くとか、
ここでお祓いするといいだとか、そういう話も含めて。

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アドバイス=自己肯定感を満足させる

ことに気づける人は

やはりそれなりの「なにか」を経験してきた人だと。

 

今も「お手柄」をたてたい気持ちがある

自分の存在を知りながら私は

いろんな人たちの発信を見ています。

 

その強さ、激しさなどを感じながら

「ああ、この人は満たされていないのだ」

と思うことも。同時に満たされない自分を

感じる時でもあります。

 

こちらも糸井さんのお話から抜粋

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これって、
「自己」と「他者」ということで考えれば、
世のなかのいろんなことが見えてきます。
つまり、「じぶんじゃないもの」を
少しでも目にしたり、耳にしたりするだけで、
じぶんを攻撃する敵だと勘違いして
過剰に反応する人がいる。
いまは、社会全体が免疫疾患になっていますよね。

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さすがの表現だと思いました。

 

幡野さんが自費出版してでも出したい!

と思われた本をぜひ読みたい!と思います。

 

彼が35歳で末期癌にかかったことを

どのような感覚で受け止めたのかは

想像できませんが、彼は間違いなく

今を生ききっていらっしゃると。

 

私よりも一回り以上お若い彼が残すものに

文章を書くものとして少し羨ましくもあると同時に

私では受け入れきれない。

自分の器をもまた感じる連載でした。

 

 

これからのぼくに、できること。(日刊イトイ新聞より)