私は2日に1回の割り合いでズーと口喧嘩をする。


それは一見すれば、40オーバーのオジが3歳児相手にまともに張り合う構図はなんとも大人気がなく見苦しさ極まりない、と思われるにちがいない。




しかし。だがしかし、だ。



裏を返せばそれぐらいズーは口が達者であり、反論が的確(というか反抗的というか)な3歳児、といった良きライバルの構図にとれなくもない。



流石に大の大人が泣かせてトドメをさすのは度が過ぎる行為なので(ついうっかり泣かせてしまう日もあるにはあるのだが)、基本的にはいいたいことをとことんいわせて最後はスッキリ納得させるというのが通例だ。



それが功奏してなのかはわからないが、最近では小競り合いのあと、ズーの方から私に「タケ、さっきはごめんね」とかならず謝罪をしにすり寄ってくる。

かならず、だ。




生後たったの3年半で自分にもそれができていただろうか。

おそらく、できてはいない。




さすがに毎回こう素直に謝られてくると私としても面目が立たない。というより、ただただ恥ずかしい。



逆にこんなにも素直に自分から謝れる3歳児を前ににわか脱帽していると、私の心中を察するに余りあるかの如く、妻が唐突に口を開く。




「ズーは本心から謝っているのではなく、謝っている自分に酔っているだけだよねー」と。



「エッ?」といった顔で私とズーは妻を2度見する。



ごめんね、の言葉にとても気持ちがこもっていたのに、まさか意図的に謝罪操作をしていただなんて……。






これは、公園などで自分のオモチャを友だちに貸したとき、その子のお母さんの顔をチラ見し「貸してくれてどうもありがとう」という返しを期待している場面とおなじような心理状態なのだとか。



良くいえば他人が喜ぶ奉仕活動をしており、良くなくいえば「ドヤ」を主張しているだけ……ということか(人の顔色をうかがうズーらしいといえばズーらしい)。




いずれにしても、多様化するこの激動の大令和時代を生き残っていくためには、そういった思考も必要になってくるのかもしれない。






今はまだ子どもらしくあってほしいという思いもある