ズーはくだもの全般が大好物です。
食前と食後に毎日食べたいくだものを僕に注文してきます。
イスに座って待つズーの場所まで食べやすくカットしたくだものを持っていくと「きたきた♪」と嬉しそうに声をあげて喜びます。
ここで僕が「きたきた♪じゃなくて、ありがとうっていおうね」って注意を促したとしましょう。
おそらく注意すればありがとうという習慣はそのうち身についてくると思います。
でもそれって僕が働きかけた言葉であってズーの意思で発した言葉ではないんですね。
逆にくだものが運ばれてきたときに毎回いう「きたきた♪」の嬉し言葉は、だれかが教えたわけでもなくズー自らが選んで発した言葉です。
もうすぐ2歳になるズーは周囲から聞こえるさまざまな声や言葉をインプットし、会話でアウトプットしていきます。
そのなかで「いまはこの状況だからこの言葉を選ぼう」と、自分なりに言葉を選んで意思決定する力は人に育っていくための大きな成長です。
くだものが運ばれてくる→とても嬉しい→だから、きたきた♪という。
あながち言葉のチョイスは間違っていないわけですね。
それを「きたきた♪じゃなくてありがとうっていおうね」と親が正すのは如何なものでしょう。
いうのは簡単ですが、子どもの発想力や発言を妨害する意味では可能性を妨害する行為にもなりかねません。
言葉を正すのではなく、肯定をして次の新しい言葉を紡ぐ自信に繋げていってほしいと思いました。
普段から親が「ありがとう」を多用していれば子どもは自然とマネをするものだから、わざわざ言葉を教えなくてもきっと大丈夫。