「この子は天才だ!すごい子が生まれてきた!」と思いながら毎日僕はズーの育児を楽しんでいます。





ちなみに僕はただの凡人で賢くもなんともありませんが、それでもズーは「天才児」なのです。





いう分にはタダなので、そこに根拠やら親の遺伝子やら七光りやらは必要ないのです。






「天才の子どもを授かってしまった!どうしよう」


親はこの驚きとワクワクする心だけを持っていればいいと思うのです。




そのきっかけをぜひ一度探してみてあげてはいかがでしょうか。



どのお子さんにもからなずどこかに天才である要素や可能性は秘めているはずなんです。



たとえばズーでしたら、両手にますかけ線の手相を持っていたり36年に1度しかない牛黄の寅年の生まれだったりで強い運気に恵まれているので、あとは努力さえすれば天才になれるという口実にしています。



天才の可能性とは「ポジティブになれる材料」なんですね。




目がぱっちりしててかわいいから将来はアイドルだったり、背がスラッとしてて細身だからファッションモデルだったり、よく笑う子だったら幸せな人生を送れたりするかもしれません。




「だからキミは、なんでもできる天才なんだよ」と、その子の個性を褒め、自信を持たせるための声かけをしてあげます。



「あ、僕は本当にできるかも!」と自信がついた子どもは、そうではない子どもよりも抜群に力を発揮しますよね。




天才の根拠がなかったとしても、自己肯定感を高めてあげることで結果的にそこに近づくというイメージです。




たしかに、それで確実に報われる(天才になれる)保証なんてどこにもありません。




ただ、思い通りはいかないからこそおもしろい人生だったりしますし、何なら僕は「天才」という定義も知らないままズーを天才に育てたいと思っていますからね。



理屈だけで、育児は語れない気はします。






まあ、本音をいえば天才児に育ってほしいけど、べつに育ってくれなくてもかまいません。






少なくとも親としての確かな愛情だけは注ぎ続けてあげたいという思いなのです。