「人生が充実する生き方」というのを自分なりに考えてみました。



つまるところ自己肯定感をいかに高められるかどうかで決まるのではないでしょうか。




30代でそのことに気づいた僕はかなり出遅れてしまった感があるので、ズーには物心がつく前から自己肯定感を高める3つの方法を徐々に身につけていってもらいたい思いなのです。




【関連記事です】



前回に続き、3つめは「考える」です。






僕は、今もそうですが勉強があまりできる方の人間ではありません。




夏休みの宿題も最後までやったことはないし、たくさん塾にも通いましたが、時間が過ぎてくれるのをひたすら待つばかり。ゴメンね、母さん!






勉強ができないというよりも単純にキライだったので「どうしてこの問題は解けないんだろう?」と考える姿勢すらありませんでした。







ハイヒールモモコさんは、子どもが学生のときに宿題を教えてほしいと言われて「ごめんな、お母さん勉強は全然分からへんから友だちのお母さんに聞きにいってくれへん?」と返したそうですが、おそらく僕も似たような返答をするかもしれません。




恥ずかしい話ですが、自分ができなかったことを棚に上げて、子どもに「勉強をしなさい」とは強くいえないんですね……






もしいつかズーに「なぜ子どもは学校へ行かないといけないの?」と訊かれたら、その問いに対する僕の回答は「義務教育といってね、大体の子どもは学校に行かないといけない国の決まりが一応あるからだからだよ。それに学校で勉強すれば、何か学べることもあるかもしれないよ」とやんわりいって、勉強がキライになったとしてもとりあえず学校だけは行ってもらいたい考えです。






色々な考え方があるとは思うのですが、好きでもない問題を考えるときのストレスって強大なもので、そこに1日の限りあるエネルギーを全集中してもらいたくはないんですね。




自分の好きなこと、夢中になれることだけに考える思考を存分に使うことの方がその子ためになるのではないでしょうか。学業の「考える」とはそのプロセスなのかもしれませんが








たとえば「頭を使うスポーツ」といわれている野球をもし好きになれば、実力をつけていく方法だったり試合に勝つための方策を多角的な視点で考えなければいけません。




そういった好きに対するものの考えは、心を豊かにし成長するための起爆剤にもなるでしょう。






何を目標に生きていくのかは、ズーがこれから長い時間をかけて決めることですが「楽しい」と思いながら「続けられる」何かを「考える」力は何歳になっても養っていってほしいですね。









人生が充実する生き方になりますように。