鶯巣集落のとある場所から古道「竜東線」の探索スタート。

 

天龍村はその天竜川に面した地形の険しさから川沿いには道ができず、鉄道(三信鉄道)や県道(当時は群道)が開通するまで集落間における人の往来は、山々の中を巡る道がその役割を果たしていました。鉄道開設後はその役割を終えましたが、その山中の道は車道として拡幅するには険しかったため、現在でも数多くがそのまま残されています。

 

今回は天龍村の中心部である平岡と、今回滞在させていただいている鶯巣を結んでいた「竜東線(りゅうとうせん)」を歩いてみます。

 

なお事前に滞在先のご主人にこの道の事をお聞きしたものの

「あまり覚えてないなぁ… だいたい電車の軌道を歩いてたからなぁ」⇒(驚)

 

このため、道の状態だけでなくそもそも現存しているのかすら不明であり、かなり不安な出発でした。

 

 

まず入り口から不安的中。

 

道形は何とか残っているものの…

倒木だらけ。

 

スギがかなり被害を受けていました。

台風の暴風により折れ曲がったり、豪雨により土壌が流出し倒れたものと推察。

 

倒木を乗り越えながら最初の沢に到達したものの、

この砂防えん堤は上流から崩れて流れてきた土砂と立木で埋まっていました。

 

このため、道がどこでこの沢を越えていたのが全く分からず…道は途切れる。

 

対岸に渡って下流側についていた作業道らしき平坦地を下りながら斜面を見上げて道を探すものの見つからず。

 

やむなく

斜面の獣道を登りながら道を探す。

 

推定では古道は等高線沿いにある筈なので、獣道を歩いて倒木を乗り越えつつ眼をこらして道らしきものを探す。

 

動かない事を確認しながら、こうして乗り越える倒木は数知れず。

 

 

人工林の手入れ云々の前に、この山というか斜面の土質は悪い。

木々が根を張っても、脆い岩盤というか崩壊した岩石が占めている土壌では大きく生長しても梢に何らかの力が加われば、倒れやすい。

 

天竜川に向かって斜面下にはかつての鉄道の軌道(鉄橋)跡。

今JRはこの山の真下をトンネルで通っている。この斜面では土砂崩れが多くてとても管理できなかったろうと歩いて実感する。

 

山中には道は見当たらないが

当時の鉄道を守るために作られた巨大なコンクリート構造物や鋼製の防護柵が残る。

管理する人も来なくなり、鉄道の軌道はトンネルとなって守るべきものを失った構造物。

哀しさすら漂っていたが、苔に覆われたその姿はゆっくり山の一部になろうとしているかのよう。

 

その先はとても横移動はできぬ急峻な崖であったため、やむなく斜面を直登。

しかし道はなく、仕方なく尾根伝いに上へ上へと登っていくと…

 

 

道 が あ゛っ だ ぁ ~(嬉)

 

 

一見林業用の作業歩道にも見えなくはありませんが、自分は古道と確信。

 

間違いない。

道の造りが違う。

ここが平岡と鶯巣を結んでいた道 「竜東線」だ!

 

 

自信はやがて確証へ。

枯れた松の大木の根元、崩れそうな石の上に石で掘られた馬頭観音様。

 

 

 

その下には一緒に祀られていたと思われる石造物が倒れて転がっていた。

 

今回の探訪にて参考にさせていただいた「伊那谷の峠(2) 久保田賀津男著」によれば

ここは「一本松」と呼ばれる場所(一本松は俗称 小字は『豆ドチ』)であり、「小さな馬頭観音像と円柱状の石造物がある」と記されている。また、かつては7~8体の石造物があったとも。円柱状の石造物は男性器に似せたと思われ、道祖神信仰のシンボルとして祀られたかもしれない とも。

 

残念ながら、円柱状の石造物は当時あった位置(伊那谷の峠(2)に写真アリ)から道に落ちて倒れていたため、これ以上移動して山腹を転げ落ちないよう起しておいた(上)。

 

しばし休憩をして、人々が往来していた往時を偲ぶ。

 

その先、平岡を目指して歩き出すが…

国調の杭が古道の道幅で打たれているものの、その道の様子は怪しくなり やがて…

 

大きな崩落地で途絶える。

とても深くて渡れそうにないため、下流へ降りて渡られそうな場所を探す…

 

って、この樹何?

 

 

先ずはルート探しとも思ったが、あまりに樹皮表面のイボというか突起が気になり撮影。

 

葉はこんなんだった。

また調べるモノが増える(焦)

 

 

結局、

下流に行けば行くほどに崩壊はひどさを増し、降りられたとしても登れる状態になく

 

元の道の途切れる場所まで登り、その場にて上流側から迂回できないか考えたものの…

 

 

戻る時間を考え、この日の探索はここまで。

 

 

 

途切れるすぐ手前にあった

道沿いの崩落地の石の上の倒木上に生えたスギの実生が

 

 

倒木を苗床に大きく育っていた。

 

倒れた木々も次の世代が育つために必要であることを目の当たりに。

 

この道を発見した尾根から、鶯巣方面へと向かう。

来るときには歩かなかった箇所。

 

幸いここから先もはしっかり道が残っていた。

やはり昔の人たちの作った道は、維持管理も考えて無理なルートとしていない。

 

沢へと下る箇所ではアカマツの倒木の下をくぐる。

 

何故かこの道下のみ珍しくヒノキが数本あった。

 

 

沢に下りる直前では、倒木の多さなどから少し道を見失いそうになるが、何とか確認をする。

降りて判明したが、来た時の道の位置よりも少し上流であった。

 

必ずしも最短で沢を渡り、同じ位の等高線上で道がつくられていない場合もある事を学んだ。

 

 

集落に近づくと何だか「ほっ」とする。

それは昔の人も同じであったろう。

やはり森の中というのは何か神秘というか人と違うものの存在があって、畏怖とか何か感じるのは昔も今も変わらない。

 

戻ってきて、お腹いっぱい昼食をご馳走になり

のんびりお昼寝してゆっくり過ごし

 

 

天龍村を後に。

 

楽しい天龍村探訪でした。

2日に渡る古道歩きは、平岡と鶯巣を結ぶ「菖蒲の窪」と「竜東線」共に踏破できなかったものの、その存在を確認でき今後のさらなる探査への道筋がつけられたかと。

 

なにより「楽しむ」事ができたのは、同行してくれたT君のおかげ。

独りならこんなに楽しめなかった。

 

まだまだ多くの古道がある天龍村。

次の訪問が楽しみで仕方ない。