本日朝9時より、薪人にて活動をさせて頂いている龍江の山林にて、法政大学経済学部の学生らによる森林活動体験を受け入れました。

ゴールデンウィークのチェンソー講習に学生1名が参加したのが縁です。

 

前夜は宿泊した下久堅の「風の学舎」にて、この合宿(8/21~24)に参加しているゼミの学生ら20名余に薪人の活動内容と、翌日山林内で行う活動を説明。

 

そして今日、

実際に体験活動を行う学生ら8名に、様々な講習を行いました。

最初に嶋村代表の挨拶のあと、私から作業における注意事項や、危険生物について、この山林の成り立ちと現状などを説明。

 

その後、嶋村代表による伐倒の見学、そして学生による伐倒体験と続き、

伐倒体験を行った学生による、考えていた事と実際やってみた感覚の違いについて感想。

 

 

 

その後

5月に伐採し2mの長さに伐られていた丸太を人力にて搬出

 

「ええっ?」「こんなに??」

抱えた学生らから戸惑いの声。

だがしっかりと道まで搬出する。

 

その体感した重さについて

アカマツの丸太の重量を、実際に測って数値として認識。

 

 

また、現地での搬出について必要となる知識

末口の直径から割り出した体積と、先ほど計測した重量から比重を求める。

 

 

同じように今度は広葉樹(コナラ)の丸太を搬出し、

 

末口の直径と長さから体積を割り出し、計った重量から割り出した比重を知る。

そして伐った直後と乾燥した状態では大きく異なる事や、樹種によっても違う事を実感。

 

嶋村代表からは、実際の林業の現場ではこのサイズであらば人肩にて搬出する事もある事を聞く。

 

続いて

ウインチを用いた搬出のうち、地引きでの方法について学び

 

 

実際に学生らによってセッティング

 

 

安全を確認しつつ

ウインチ側の操作も体験

 

 

人の肩ではあれだけ苦労した丸太が、ゆっくりとはいえ道まで搬出される様を見る。

 

 

1本だけでなく、複数本を束ねてみる。何本まで可能なのか?丸太を引っ張り上げる時間はどのくらいなのか?次の丸太を上げるために、スキッドコーン(先端に被せる黄色のカバー)を持って斜面を降りる時間について、それぞれ考えながらの作業。

 

 

1サイクルにかかる時間や、その都度斜面を降りる手間などを感じた後に今度は架線を用いての搬出。

その方法について学び、

 

 

まずは

 

ウインチを用いず、自分達の力で挽いてみる。

 

そして

その理論について考える。

流石は大学生の彼ら、嶋村代表からの問いに対し、「これが動滑車で…」「倍力だと…」の言葉が口から。

おお~ これまで学校にて学んできた物理について、実際に生かされている現場を目の当たりにし、考えているようだ。(自分は全く忘れてたけど)

 

山側での丸太の集材と荷かけ、

 

ロープウインチの操作、

 

道側での外しなどを学生らが行う。

先ほどのスキッダーコーンを用いての地引きに比べて、その持ち運びが無くなったことなどから架線方式が有利な事を理解。

 

 

ここで昼になった事から午前の部は終了し

薪割体験などの時間調整(炭が熾らなかった 汗)を経て

 

昼食は

薪人の持ち寄り焼き肉スタイルにて

 

スタッフ不足で炭熾しが充分でなく、早く均一に焼き上げることはできませんでしたが、用意した遠山のジンギス各種(マトン、高級マトン、ぶたじん、とりじん)8袋は完食!

 

このあと、森林インストラクターによる「この山林における植生の現状と今後」について、沢山の蜘蛛の巣を避けつつ小一時間に歩きながら解説。(予定外だったので写真も撮られんかった…)

 

この山林が人工林として整備されなかった理由

アカマツが主として生えていた過去とその理由

先駆種のアカマツが生える事で少しづつ生まれた森林土壌とそれによる植生の変化

身近に食糧を得るための耕作に必要としていた「山」であった過去の様子

過去は使われ、管理されてきた竹(モウソウチク)が侵入しつつある現状

アカマツは先駆種としての役割を終え、次の樹種へと変わりつつある様子

などなど

 

他にも

ウルシやヌルデなどの葉っぱが羽状複葉という形である理由

山菜として食べられている「コシアブラ」の名前の由来

萌芽する木々も、ニホンシカなどの食圧が高いと、再び樹木とはならない

 

など延々と目に付くものについて解説を続けました。

 

こうした人工林以外の山林について、じっくり観察した事はなかったであろう学生らの眼にはどう写り、感じたのでしょうか?

 

最後に伝えたのは

「経済林として植え管理してきた人工林とは違う山林も沢山ある。こうした山林は木材を収穫し、対価を得るという目的なのではなく、耕作のための用水を確保する水源涵養や、煮炊きや暖房に必要となる燃料、そして日々の愉しみとしての春の山菜や秋のキノコなどの副産物を得る『日々の暮らしと共に』あった。よって、この地域での面積の8割が山林を占めるといってもこのうちの半数以上はこうした場所であることから、伐った木々を木材として市場出すというお金という価値ではなく、自然と共にあるべき人々の生活において、防災や環境といった目に見えない価値を生む存在であること。そしてそれはヒトの感じる時間とは違う流れの中でゆっくり生長するものであり、除く事や使う事で伐る際にもその『時間や命の重みを』感じて欲しい」と。

 

今回、実際に丸太を搬出するというのがどれだけ大変な事なのか。

機械を用いるとしても、要する時間や携わる人の事を考えると、長年かけて育った木々を活かすというのは他の産業と違うというのを実感できたのではないかと。

 

皆さん ご苦労様!

そして ありがとうございました。

 

ただ、この体験から経済を学ぶ学生らが、どのような報告を兼ねた提言ができるのか…

かえって悩ませてしまうかな?

でも、実際にその場で体感し、見聞きした事は 新たな何かを…。

 

難しく考えんよう、「皆で一緒に汗を流して 愉しむ事を 日々の生活に!」

駄目っすか 先生…

4月、元水田で数年放置されていた遊休農地を自然農の畑にしようと畝立て。

 

5月、緑肥を播きつつ徐々に生える草を少しづつ刈っては管理。

 

野菜が育ちやすい環境に早めに近づけるため、固く水はけの悪い土壌を改善すると共に、肥料となる窒素を固定する2種の緑肥を

 

混ぜて

 

 

播く。

 

 

 

芽生えと共に

 

次々と生えてくる草を

 

 

 

刈っては敷き

 

 

 

 

刈っては敷くを繰り返す

 

 

それを繰り返したが

播いた2種の緑肥のうち

 

 

大きく、自分の背丈を越える程に生長したのは

 

 

クロタラリア。

いよいよ開花する個体が多くなったので、花や実に栄養がいかないうちにと刈り取りを行う。

 

 

昨日夕方、全てを刈り終えて畝に敷き詰める。

 

 

本当は漉きこむほうが、土壌には良いのだろうが、基本耕うんしないのが自然農。

このまま土壌にいる様々な微生物や昆虫などに分解を任せる。

 

 

クロタラリアと違って、あまり生育は良くなかったセスバニア

 

 

でも小さいながらも根っこに根粒を確認!

空気中の窒素を根に固定してくれてました。

 

 

ここ数日は秋の陽気

この場所でもバッタを見かけます。

 

 

またカメムシも

 

珍しかったのは

ピンク色のバッタ

 

 

イナゴなどは大量に発生すると羽根を持ったり、色が替わるというが、その類だろうか?

 

 

ここまでこの圃場での作業では一切機械を用いず、全て手刈りで行ってきた。

手間もかかるが、自らの手で観察しながら行う事で初めて気づく事が沢山あった

 

枯れた草を分解していく様子については、菌類だけでなく

 

ヤスデやダンゴ虫などの小さな土壌生物に

 

 

意外と役割の大きさを感じたのが、様々な草の役割。

根が堅かった土壌に入り込み、細かく砕き、そこに菌や土壌生物が分解した植物の遺体が混ざっている。

 

対して、放置したままの場所の土壌は…

 

まだカチカチ。堅くて手で力を加えないと砕く事ができない。

 

ここまで土壌に違いが出てくるとは正直思わなかった。

竹内さんのスクールでも学んだものの、本当にこの状況を確認するまでは信じられなかった。

 

自然農では耕うんせず、表面の土壌を大切にしていく事がどういったことなのか判った。

機械で耕してしまえばこの層が破壊され、多様な生き物の居場所が無くなると共に、この団粒に富んだ植物にとって生育に向いた層が混ざり無くなってしまう。

 

「時間が惜しい」「面積が広い」からと、機械に頼っていたら、気づく事はできなかった。

 

ただ、竹内さんの著書でもあるとおり、自然農をするにはこの規模は大きすぎる。

現実にはもう少し機械も併用しながらという事になろうか。

だが、生き物と共存する「自然農」、またそれに近いやりかたで野菜を育てようとするならば、小さな範囲でいいので自らの手で行う事で気づきを得て学んでいく必要があるように感じた。

 

特に多くの草の存在については、もっと見直していかねばとも

以前から草の堆肥化のために購入し用いていた「タヒロン」。

この場所でも、ただ積んでおくものとの比較のため用いている。

 

 

底の方から取り出し、刈った草が早く分解されるよう、層状に(途中で)入れたりしている。

 

ただ積んでおくのとどう違ってくるかは、もう少し観察しないととも思うが、

 

草は邪魔者なんかではなく、多くの昆虫を育み、根は常に土を団粒化させようと入り込んで砕き、

枯れた後は多くの生き物たちによって、分解されさらに細かく、そして次の植物の栄養源となっていく。

 

 

これに気付くと、生えている草が全て愛おしい。

刈って土に還して行く事を繰り返す事で、その場所の土壌は団粒に富んだものとなり、おのずと生える草も種類が限られてくる。

 

ただ、この忙しい現代人には 実践する事も難しいとはつくづく。

 

でも 楽しい。

明らかに時間やお金、効率や量に追われるような次から次への「片付け仕事」ではない。

多くの小さな生き物達と、一緒に成し遂げる「自然と一体の仕事」って感じがたまらん。

 

 

 

 

 

 

 

自然と向き合う事の面白さを、様々な機会で感じています。

特に今面白さを感じ、学んでいるのが、木々の芽生えを「見出し」「後押しする」という「森を生み出す」作業。

 

中川村の天竜川を見下ろす場所に生えていた、「榧(カヤ)の切り株の周り」にて行っています。

 

昨日は午後からこの場所での作業と観察を行ってきました。

今年3月に様々な事情で惜しまれながら伐られたカヤの巨木。

実に300年に渡ってこの場所に立ち続けていました。

詳しくはこちら↓

古民家七代【カヤ日記⑥】

 

私も伐採前からその後にかけて、作業に携わったりしてきましたが、この巨木の切り株の周囲をどうすべきか相談を受け

 

「多様な木々が茂る場所にしましょう」と提案。

 

 

天竜川の鵞流峡で得た「竹林跡を広葉樹林に変える」際に学んだ事を活かして、これまで平均月に一度ですが管理を行っています。

 

鵞流峡の竹やぶ跡地でも実感したのですが、埋もれていたり、発芽せず眠っていた種子が芽生えるのは、その上に遮るものが無くなった直後が最も多い。この時にどれだけ芽生えを見出してやり、かつ後押しできるかにかかっています。

 

この場所においては、300年にわたって存在し続けたカヤが無くなった事で、これまで遮られていた陽射しが燦々と降り注ぎ、一気に様々な広葉樹が芽生えただけでなく

 

ひっそりと生えていた常緑樹も新たな芽を出しています。

 

特に生育目覚ましいのは広葉樹の中でも「陽樹」とよばれ、生長が早い早生樹。

この場所では、人が管理する上ではちょっと困り者の「ウルシ」達。

 

でも全て伐る事なく、生長させます。(ただし間隔は調整するため、本数は抜き切りにより調整しています)

目的は、葉を茂らす事で地表に降り注ぐ陽射しを減らし、伸びると管理に気を遣う「草」の生長を抑えると共に、この後に育つ木々の保護をしてもらうこと。

 

「草を減らすのは解るが、木々の生長に欠かせない陽射しを遮るって?」

最初は自分もそう思っていました。

 

ですが、鵞流峡での取組や、様々な里山や森を歩いて観察しているうちに

「樹木の芽生えも、種類によっては直射日光が苦手なものがあり、それは陰樹と呼ばれる常緑樹だけはない」ということに気付きました。

 

ここにあった樹齢300年のカヤは、天竜川の河岸の突端の陽当りの良い場所に生えていました。

しかし最初から1本だけ生えていたのか?

燦々と降り注ぐ陽光を独り浴びて、あそこまで大きく育ったのか??

 

それは違う事にこの場所で気づきます。

 

これは、カヤの実から生えた稚樹。

カヤは陰樹ゆえに、日差しが少なくても生長できるのですが、では「日差しがあってもよかろう」と周囲に生えていた草を刈ったところ…

先端の葉が茶色くなるなど逆効果。

陽射しばかりでなく、湿気なども関係しているかもしれませんが、ある程度生長するまでは周囲に他の草や木々に囲まれている事が必要ではないかと感じています。

 

残念ながら移植したカヤの中には、この事が判らず場所が合わなかったのか枯れてしまったものもあり、可愛そうな事をしたと反省。

 

ですが、カヤは針葉樹の中では珍しく切り株からの萌芽をします。

 

これは大きな切り株から少し離れた場所にあった、以前伐られた切り株。フジなどに覆われていたのを取り去ったところ、全面から旺盛に発芽しました。切り株からの萌芽は日差しを欲しているようです。

このカヤの萌芽も、広葉樹と同じように再び大きく育つのかどうか注目しています。

 

 

ほかにも実生からのカキやエノキなども確認し、どれも生長していますが、

依頼者も必要としている薪となる樹木になるクヌギも数本植えました。

今はまだどれを残すところまでは決まっていません。

ですが、まずはそれぞれ競争する中で、考えていくこと。

 

自然の中と同じように、多種多様な木々が生長する環境を整える。

できれば植えるのではなく、その場から生える在来や眠っていた樹種が望ましい。

 

育てようとする樹種ばかりを優遇するのではなく、ある程度までは共に共存させること。

これが様々な樹種の生長に見えない効果をもたらす気がしています。