思いの外響いて辛くなりやすくなったのもあり、本も映画も少しずつ触れられる時に触れることが多くなった。

『さらば、わが愛/覇王別姫』
蝶衣、小楼、菊仙の最後のなんとも言えない表情。京劇や文化大革命での弟子の裏切りや彼の表情も、時間が経つほどじわじわ響く。
変わりゆく時代の流れに翻弄され、彼らを取り巻く環境や性質上、そう生きる他ないような気がした。それぞれの選択やお互いへの言葉も何もかも。皆人間だから。時の流れさえ、ただ流れがあるだけ。
もう誰がいいとか悪いとか、何がいいとか悪いとか関係なく、皆精一杯生きているだけなのだと思った。



快慶による作品が1番ダイレクトに自分の核に伝わってくる気がした。本当に生を超えた存在として生きてるかのよう。晩年の作品は特にそう感じた。

答えは自分の中にしかないと言うけれど、あるとしたら、空気感や雰囲気から伝わる何かが自分自身と呼応する、言葉にならないもので、生きることが何かを本能的に感じ取ることなんだろうと思った。

圧倒されてしまって、今も余韻がすごいので、快慶の作品を見て、何がそんなに心に響いているのか考えてみると、私にとっては小さな頃に読んだ手塚治虫の『火の鳥』の雰囲気を思い起こさせるのかもしれないと思った。
確か両腕を切り落とされ、牢獄にいた醜男が口で仏様等を壁に掘り始め、そのあまりの雰囲気にそのまま仏師として登用された話があるんだけど、あの雰囲気かなと。

自分の身に何が起きても、本当に人智を超えた存在を、見て、感じて、実際の物質に写し取ろうとする、掘り出そうとする、それができると知っているかようなあの気迫を感じた気がして、昔の人の生きる意志の凄みを感じた気がした…。

『ジェニイの肖像』


原作は多くの作家や芸術家に影響を与えたというだけあって、幻想的で美しい映画だった。

詩の引用も美しく、歌の旋律の美しさも心に残る。


ある冬の日、売れない貧しい画家が1人の少女と出会い、彼女の言葉や歌が頭から離れず、人の心を惹きつける絵を描く。数日後に偶然出会った時にはあっという間に成長しており、不思議なことにいつも彼女の話は何十年も昔のこと。

時を超える愛、そしてその美しさを表す彼の絵。

こんなにも切なく美しく愛し合えるなんて、なんて素敵なんだろう。

彼が出会う画商の言葉も印象深い。

彼らを取り巻く人たちの愛情の深さも。


モノクロの映画は、最初からいろんな色が与えられた状態よりも、光や影の美しさに切なくなるほど感動するように思うことがある。

作品を、映像を愛し、人の創造性や作品が持つ力を可能性を信じる人たちの感動を届けたい想いによって工夫されて感じられる美なのかもしれない。

世界ってこんなにも美しいのだと感じる。


原作も読んでみたいな。